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  • 2014/07/06(日) 17:20:59.28
 
「保守主義の父」 エドマンド・バーク
 日本国民として、最低限知っておくべき正統の政治哲学。
http://burke-conservatism.blog.so-net.ne.jp/archive/20110628
2011年06月25日
   ーーーーーー

・・・君臣分定の真義である『正統』を遵守(保守)する義務とは、皇祖皇宗の遺訓であり、『古事記』、『日本書紀』、『令義解』、『續日本紀』、『神皇正統記』、
幕末の山鹿素行、山崎闇齋の崎門の学の門人と水戸の藤田東湖や越前の橋本景岳ら、松下村塾(=長門の國、松下邑の塾)の吉田松陰とその門人、
薩摩の西郷南洲、幕府有司の川路聖謨、朝廷縉臣の英明第一と言われた三條實萬、明治の元勲や井上毅・・・、・・・など、あらゆる時代のすべての日本国民の代弁者らが、異口同音に唱え、遵守してきた歴史事実であり、日本国の法・伝統である。

このような国家の根本法であり国民の存在意義である国体(国憲・国法)、伝統とは、大東亜戦争終(結)後わずか70年足らずの期間に存在した現代日本国民の「主権」概念によって変更・変革できるものではない。

そもそも、F・A・ハイエクが言うように立憲主義の自由主義国家における法の支配下においては、対外的な国家主権を除いて、内政上、天皇主権であれ、国民主権であれ「主権」など存在し得ない。

なぜなら、ハイエクが言うように、あらゆる権力が、国法&憲法の制限を超えることを許さない主義が立憲主義及び法の支配の本義だからである。

ゆえに本来、日本国は立憲主義(憲法第97条:この憲法が日本国民に 保障する権利・・・、第98条:この憲法は国の最高法規であって、その条規に反する・・・効力を有しない、と明記)であるから、
日本国憲法の前文と第1条の条文の「主権」なる用語は立憲主義と矛盾する(憲法が盾、主権が矛)のであるが、戦後教育を受けた日本国民が

> <日本国憲法 第一条>
>天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく
>

の「国民主権」に固執するのであれば、その場合は「主権」は上記の祖先たる日本国民のすべてに附与されねばならないし、将来誕生する、もしくは将来成人になるだろう子孫らの「主権」も慎重に考慮されねばならない。
 

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