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  • 2015/04/29(水) 06:19:33.08
畿内山城人はやっば、日本海丹後但馬丹波人が別人種って意識はあるのか。

埴原和郎
「京都出身の文化人類学の先生に『骨で測ったらこんなに違うんです』と話したんです。
そしたら『同じ京都でも丹波・丹後違いまっせ。オナゴシ顔が多いんですわ』といかにも当然という感じなのです。
よくよく聞いてみると、丸い顔立ちの女性をそう呼ぶらしいのです。要するに縄文的な顔ですよ。
ですから、畿内から渡来人が拡散したとはいえ、その影響の濃淡は同じ畿内でも地域によって様々であるということですね」

私どもが行った現代日本人頭骨の分析からみても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で“特殊な日本人”ともいえる。
その理由は、この地方で渡来系集団の影響がきわめて濃厚であるためと想像されるが、このような傾向は、すでに古墳時代に現れていたといえる。
時代はやや下がるが、平安時代に編纂された『新撰姓氏録』によると、畿内の氏族一一八二氏のうち、ほぼ三分の一が渡来系の氏族といわれる。
とくに新羅系の秦氏、百済系の漢氏、高句麗系の高麗氏などは代表的な氏族で、ともに畿内を中心として、ほぼ全国に拡散した。
この他、日本書紀や続日本紀などにある渡来人の歴史をみれば、近畿地方に渡来系の特徴が濃厚に残っていることは当然ともいえる。
そして人骨の研究からこれが裏付けられることは、日本人および日本歴史を考えるうえできわめて重要である。
(埴原和郎/理学博士/東京大学・国際日本文化研究センター各名誉教授/福岡県出身)

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