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  • 81
  •  
  • 2012/03/15(木) 14:23:12.07
>>80
100年というと3、4代だからみんな忘れるよね。でも普代村の元村長のように
無用の堤防と罵られながらも、先祖の言い伝えを信じて15.5メートルの
堤防と防波堤を造った人もいる。

普代村をみると津波は人災ということがわかる。普代村は被害なしだったもん。
堤防の様子を見に行ったまま帰らない不明者を1名出しただけ。

--- WIKIより(普代村)
2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波で、沿岸部の漁業施設などが
壊滅したが、高さ15.5mの普代水門や太田名部防潮堤(おおたなべ - )が決壊
せずに津波を大幅に減衰させ、集落への浸水被害を最小限に抑えることが
できた。2011年4月3日現在での死者はゼロである

和村幸得 (元村長、堤防建設)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%9D%91%E5%B9%B8%E5%BE%97

堤防の建設には反発も大きく「(金を)他のことに使えばいい」「ここまでの
高さは必要なのか」との異論も出た。地主の中にもどうしても承諾できない者が
いたが、和村は「二度あることは三度あってはいかん」と決して譲らず、県に
ひたすら嘆願し、土地収用もからめ、事業認定をかけてまで強行した。

ここまで見た

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