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  • 2009/02/21(土) 01:17:21
前スレ
クリシュナムルティと共に
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1194895603/

前前スレ
クリシュナムルティとか・・・・・・
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1180782879/

前前前スレ
クリシュナムルティと・・・・
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1164713902/

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  • 765
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  • 2013/03/25(月) 20:34:29.67
信じるか信じないか、流行の「自己責任」でどっちかに賭けろってこと?
宗教一般ならそれも分かるけど、Kってそういう信仰を批判してない?

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  • 766
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  • 2013/03/25(月) 21:19:28.18
クリシュナムルティはひとつの鏡なんですよ。
鏡の前に来て、覗く人の姿そのものを写し
70億人来たら、70億の姿でしょう。
鏡自体の働きは映すこと。鏡に善悪はありません。
だから、誤魔化すと言う意味でなく、クリシュナムルティ
に留まりたい人には意味があっても、留まらないけど
クリシュナムルティを素直に尊敬する人は
Kが、そういう信仰を批判してしいるか、いないか
どうでも良いこと。
それは、クリシュナムルティの否定とは関係
無いでしょう。
究極自己責任ですよ。
貴方の人生ですから。私もクリシュナムルティも
替われないでしょう?

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  • 767
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  • 2013/03/25(月) 21:53:42.77
クリシュナムルティ鏡に映った自分の姿にうっとり、ですか? はぁw

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  • 768
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  • 2013/03/25(月) 21:59:05.87
>>765
良き色を好み、悪臭を憎むようにする。
理屈をつけて悪臭を好むから心と体がバラバラになり迷う

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  • 769
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  • 2013/03/26(火) 11:17:19.83
>>764
クリシュナムルティを信じる信じないというよりも、
精神世界で一般に言われている「悟り」というものが本当にあるのかどうかということなんだよね、私にとっては。
クリシュナムルティのように真理を説いているように見えても当の本人はただの俗物だったりすると、
説いている内容が驚嘆にあたいするものだけに「悟り」の存在それ自体を疑ってしまう。

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  • 770
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  • 2013/03/26(火) 11:36:40.00
そもそも「真理」というもの自体が人間の産物かもしれないよ。
ある惑星に知的生命体が存在しないとして、その惑星に「真理」というものがあるのかと問われれば、
私は「ない」と答える。
地球についても同様で、ここに人間がいるから「真理」が問題になる。
つまり、「真理」というものは人間(思考する主体)の存在が前提になっているんだよ。

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  • 771
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  • 2013/03/26(火) 11:43:40.18
「意味・真理・存在」

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  • 772
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  • 2013/03/26(火) 11:50:22.57
>>770プロタゴラス乙

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  • 773
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  • 2013/03/26(火) 12:08:18.43
>>769
悟りっていうのも、極楽浄土とかと同じように、
俗人の想像力が生み出した幻なのかもね。
まだ死んでいない奴が死後の極楽を夢見、
まだ悟っていない奴が「悟り」を夢見る。

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  • 774
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  • 2013/03/26(火) 12:16:46.75
ところで、クリシュナムルティの「教え」を実践して、
すべての問題が根本的に消滅した奴って一人でもいるのかな?
いないとすれば、ただの言葉、絵に描いた餅だったんだろ?

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  • 775
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  • 2013/03/26(火) 12:22:28.04
>すべての問題が根本的に消滅した奴
そんな人は、人類史上唯の一人もいないよ。

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  • 776
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  • 2013/03/26(火) 12:53:11.65
>>774
> すべての問題が根本的に消滅した奴って一人でもいるのかな?

いるかいないのか70億人の中で分からないでしょうね
仮にいても表に出ずに生きて死ねば全くわからない。
結局、クリシュナムルティの「教え」を正しいと思う人は実践した生活を送る
そうでない人はそれぞれの信条の中で生きて往くということになるのでは。

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  • 777
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  • 2013/03/26(火) 13:08:14.66
クリ臭ナムルニート

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  • 778
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  • 2013/03/26(火) 13:13:53.99
でも、クリシュナムルティは「ず〜と実践し続ければきっといつか・・・」
みたいな信念を自己欺瞞として否定して、「瞬時の根本的な解決」でなきゃ
何も変わらんみたいなこと言ってるじゃん。

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  • 779
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  • 2013/03/26(火) 13:19:27.97
>>778
でも、言っている本人が自分のことを棚に上げているよね。

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  • 780
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  • 2013/03/26(火) 13:26:19.40
>>779
それはよく分からん。
Kが「より優れたもの」になろうと努力していたようには、
私には見えない。それよりは、良し悪しは別にして、
一般人が持つ通常の反省能力が先天的に欠けていたような感じ。
「そう言ってる俺はどうなのさ?」とかの自問が皆無のよう。

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  • 781
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  • 2013/03/26(火) 13:32:20.25
>>779>>780
そうかな。逆に自分にしか問いかけて無かった気がするが

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  • 782
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  • 2013/03/26(火) 13:33:54.31
説法する人間によくあること。
よく陥る状態と言ったほうがいいかもしれない。
禅の管長老師も提唱や説法の内容と行履を良く知る身近な名者は
ギャップに言葉を失う。

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  • 783
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  • 2013/03/26(火) 13:42:56.67
>>780
クリシュナムルティはチャネラーだったんでしょう。
チャネラーなら言っていることとその人格が別物でも不思議はない。
私はむしろチャネラーを通して語るその存在自体を怪しむ。

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  • 784
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  • 2013/03/26(火) 13:45:36.72
>>781
自分にしか問いかけて無かったのなら、
おもてに出ずにただ自問自答していればよかったのではないかな。

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  • 785
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  • 2013/03/26(火) 14:01:01.74
Kがふつうの意味での「自分に問いかける」タイプだったとは
私にはまったく思えないな。

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  • 786
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  • 2013/03/26(火) 14:15:52.71
クリシュナムルティの教説自体、嫌いな奴から見たらカルトかも知れんが「私は何も信じない」とか明言して
色々な怪しいカルトへの防波堤になった役割は評価すべき
クリシュナムルティ読んでおけばカルトへの強力な免疫がつくのは確か

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  • 787
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  • 2013/03/26(火) 14:48:07.26
教説はカルト臭くないが、伝記的なもの読むと弩級カルトw

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  • 788
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  • 2013/03/26(火) 16:04:19.47
聖白色同胞団の準備した期待の星 (キリッ

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  • 789
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  • 2013/03/26(火) 16:11:09.33
しかし禅では仏にあっては仏を殺せとかいうし、
ブッダも、自分の臨終を嘆く弟子に対して叱り、
自己と法のみを拠り所とせよ、と、、、。

キリストはまあ、神を信じよといったわけだけど、それは逆説的にいえば
時代的に絶対的だった律法や親や自分すら捨てよという放下着の表現で。

クリシュナムルティが信じるな、といっても、あんがいありふれたものだと思うけどな・・・
信じるなと、いいながら講演ばっかりして美味しいご飯を食べてたわけだし。

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  • 790
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  • 2013/03/26(火) 16:19:10.09
>>789
> クリシュナムルティが信じるな、といっても、だと思うけどな・・・

さすがに著書を一冊でも読めば、すべての宗教上の権威の否定で
あんがいありふれたものではないことはすぐ解るはず。

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  • 791
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  • 2013/03/26(火) 16:32:04.66
「悟りは妄想」という流れになってきていますが、もしそうだとすると
お釈迦様やキリスト様が伝えてきた教えというのは単なる道徳ということになって
守らなくてもいいやという破戒人が出てくると思うのですが…

いくらKでもそりゃないだろうと思う

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  • 792
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  • 2013/03/26(火) 17:12:57.74
いや、「悟り」なるものが実際あったって、
俺そんなもんいらねえよと言う人は出てくるので、
その点では同じようなもんじゃね

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  • 793
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  • 2013/03/26(火) 17:34:27.02
けど、俺賢くなりたいんです
お釈迦様のように
インドの聖者を超えたやる気に満ち溢れたそんな力が欲しいです
魔法やおまじないの類を論破してみたいんです

もうバカだバカだ思いたくないんです

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  • 794
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  • 2013/03/26(火) 17:44:59.64
そんなことここで言われたってw

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  • 795
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  • 2013/03/26(火) 19:22:51.60
本で読んだり人から聞いたりしたことの受け売りで、バカを隠して、
自分を偉そうに見せる際、ソースの選択を誤ると「何こいつあんなの
信じてんだ、情弱w」とか馬鹿にされてしまう。スピリチュアル関係で
その心配が比較的少ないと考えられてきたクリシュナムルティだったが、
暴露本が出されるなど、雲行きが怪しくなってきた。安心して引用・
知ったかぶりができる新たなソースが求められているw

ここまで見た
  • 796
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  • 2013/03/26(火) 19:45:39.29
一気に話が飛ぶけど、今の科学技術が信頼できるか?
福島第一原発事故のようなのが起きても大半の人間は「放射能って何?」だ
こんな状況で原発みたいなのを稼動させていたのもアレだが
そもそも原理が完全に分からなくて人体を守れない技術をよくもまあ惜しげも無く披露していたものだ

エジソンはそんなときどうしていたのか?
アインシュタインはどう思っていた?

そういうところまでみて「これからはエジソン(レオナルド・ダ・ヴィンチ)以上の画期的な発明をしなければならない」
という危機感もなければ駄目なんじゃないか

ipadのスティーブンジョブズが「画期的な発明をした」かのように見えるけど
あれってノートパソコンで画面を透明なタッチパネルにして本が読めるってだけだから
あれが世紀の大発明に見えるならKの書籍より、世界の偉人伝全集をもう一度読み直した方がいいぜって思うよ
だから「俺はバカだ」って発言をしたわけだ
みんなだってバカのままでいたくないだろ?

ここまで見た
  • 797
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  • 2013/03/27(水) 06:02:23.91
もうgdgdになってきたなw
説明すると何万言も言えるし、クリはそれをやったんだが、
いくら説明しても埒が明かないんだ。
だからクリは最後に「教えてもアカンかった」と言わざるを得なかった。
そりゃそうだ。ヤツは言い過ぎた。

頼むから騙されたと思って「思考を観察」してみてくれ。
思考を眺める、思考を見張る、でも何でもいいから。
ただ思考に気づくんだよ。
思考に気づくと即座に思考との同一化が緩む。
変化するんだ。
すると途端に「意識が鮮明になり気分が良くなる」。
これは約束できる。

思考に気づく生活をやっていると自分のあり方そのものが勝手に変わる。
勝手ってのがポイントだ。
つまりでっち上げていないんだ。
でっち上げは無意識の思考によって行われ、それを意識的な思考が
更にでっち上げに輪を掛けるんだ。
自分は馬鹿だと思っている、故に馬鹿で居たくないのだ。
馬鹿で居たくないから馬鹿から脱却するためにはどうすればいいのか、
と思考を使ってやるわけだ。
このとき前提になっているのは「馬鹿な自分」なのであり、
これを前提にしている限り、いくら思考で演算を繰り返しても依然、
「馬鹿な自分」は覆せないんだよ。

ここまで見た
  • 798
  •  
  • 2013/03/27(水) 06:02:55.54
思考を観察することが解らない人は初手はこうやるといい。
何かを無意識に考えていることに直後気づけたとする。
そのとき「〜と考えている(た)」と自認する。
これを暫くやってみる。
こうやって無意識的な思考を徐々に意識化させるこれができる。
慣れてくればただ思考に気づくようにする。
思考に気づくことを行う動機は「心地よいから」で十分だ。
或いは「思考に巻き込まれると苦しみから」でもおkだ。
悟りだの何だの、そんな観念は捨てちまえ。
そんな議論を千年gdgdやっても何にもなりゃしない。
クリの言葉に引っかかるならクリ本など捨てちまえ。
んなもんゴミだゴミ。

空海が最澄に与えた手紙がある。
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/KuukaiSaichou/KuukaiSaichou.htm
これもゴミだが参考になるから読み捨ててくれ。
実践だけが命だってことが解る。
最高の道具を持ってても使わなければ意味が無い。
最高の彼女と付き合ってても睦みあい愛しあわなければ意味が無い。
色んな言葉を知っててもそれを実践しなければ意味が無い。
そういうことだ。
絵に描いた餅は永遠に食えない。
つべこべ言わずに思考に気づいてみてくれ。
効能は即座に解るぜ。

ここまで見た
  • 799
  •  
  • 2013/03/27(水) 06:07:10.92
訂正

「思考に巻き込まれると苦しみから」×
「思考に巻き込まれると苦しいから」○

一気に書いちまったので他にもミスがあると思う。
勘弁な。

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  • 800
  •  
  • 2013/03/27(水) 07:06:22.08
>>797
思考を観察していると、観察していることさえいつのまにか忘れて、怒涛のごとく溢れている状態になっていることに気づきますね。
普段からこういう状態なんでしょう。
今年から瞑想を始めて、最近は肩の力がよく抜けるようになりました。

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  • 801
  •  
  • 2013/03/27(水) 08:15:28.83
>>800
思考は概念であり、言語ですが、思考を観察しているとそのうち概念以前の動きに気づけます。
ここで思考との同一化が外れます。
確かクリもこれに言及していましたね。

瞑想は良いレッスンになります。
要は一切何もせず、ただ全面的に感受することです。
つまり全ての抵抗を解除することです。
実はこの抵抗、つまり心的ディフェンスが「恩寵」を閉ざしているんです。
一切は「恩寵」でしかなく、「恩寵」はいつもあり、ただあるもので、得ることも勝ち取ることも出来ない、
つまり無条件に我々とともにあるのですが、思考との同一化による苦痛、苦悩、心配や後悔、
不安や恐れがこれを塞ぐのです。

これが理解できればクリのみならず、様々な存在が齎すコメントが見えてきます。
クリのコメントも、宇宙人イタコのワクワクも、ほっとするも引き寄せも、指し示すところは同じなのです。

ここまで見た
  • 802
  •  
  • 2013/03/27(水) 08:33:03.17
>>800
あとこれを参考にしてください。>>697

思考を観察すると思考はその動きを和らげるものです。
もし観察していて思考が暴れまわるようなら、それは思考を思考が判断しています。
その時は判断している思考を注視するのです。

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  • 803
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  • 2013/03/27(水) 08:42:19.97
何故観察(注視/意識/気づき)を行うと思考は和らぐのか。
意識することはつまり愛することと同じだからです。
感じることも愛することです。
意識すること、気づくことにより、愛がそれを包括するんです。
判断はそれそのものを癒したり変容させることは出来ません。
癒し、変容させることが出来るのは愛だけです。
ですから安心して観察し、注視し、気づき、意識してください。

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  • 804
  •  
  • 2013/03/27(水) 10:25:06.87
思考の観察って、普通にヴィパッサナ瞑想やん。

カバットジンの本一冊読めば済む。

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  • 805
  •  
  • 2013/03/27(水) 10:26:28.49
エックハルト・トールとかね。そっちのほうがわかりやすい。
クリシュナムルティより親切だし、本人も「教えても無駄だった」とか
くだらないことは言わないでリラックスしてる。

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  • 806
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  • 2013/03/27(水) 10:28:25.78
そういえば、大野純一さんがケン・ウィルバーの本のあとがきで、
エックハルト・トールに言及してたね。
「トーレ」になってたが。

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  • 807
  •  
  • 2013/03/27(水) 10:44:53.45
自分の思考を観察するのに、なぜ××だの○○だのの本が要るのさ?
それ読まないと、観察できないわけ?

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  • 808
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  • 2013/03/27(水) 13:25:10.62
その類の本を読まなかったら思考を観察することにすら気づかなかったし
読めばモチベーションもあがるからな
みんながみんな君のように本も読むことなしに、思考を観察したり瞑想できたりしないんだよ

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  • 809
  •  
  • 2013/03/27(水) 13:32:04.39
俺も本とか読むに決まってんだろ。2chさえ読むってのにw
自己観察って「自己観察すれば、悟りが開けるんだ。よっしゃ、観察するぞぉ」
みたいにできるもんか? 「観察すると○○になって・・・」みたいな
暗示にかかって、歪みのない観察とは程遠い条件付けられた想像に陥るんじゃね?

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  • 810
  •  
  • 2013/03/27(水) 13:48:41.60
人による
人によるということも観察してわかったほうがいいかもね
自分にある尺度で他人を計ろうとしてしまう観念とかね

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  • 811
  •  
  • 2013/03/27(水) 13:59:42.46
思考を観察するっていう時点で思考と観察者が癒着してるんだよな。
思考にまわるエネルギーが全部観察に回ってはじめて限定のない気づきが可能になるんだから、
感覚や思考の元栓の閉め方を教ないで観察観察いうのは教説に不備がある。
自動的に流れがとまると言えば止まるんだが、それって無意識に勘のいい奴がそっと自分の気づかない所で元栓閉めてるだけの話。
止と観を兼備してない教えだと凡人には観察だけじゃ無理だな。

歪むのは感覚と思考であって観察自体は歪まんはず。
ただ観察対象に制限はないのに本の影響で思考を観察すればいいとか限定されてしまう場合はあるかと思う。

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  • 812
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  • 2013/03/27(水) 14:18:00.39
元栓の閉め方教えてくれよ

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  • 813
  •  
  • 2013/03/27(水) 17:19:42.98
オナニーするだろ。
その際にこの世から摩擦刺激が生み出す快感以外なくなるような状態が凡人が唯一到達できてる制感の状態だ。
このような状態をオナニーしないでもってくるのが、止だよ。
一点集中のシャマタ瞑想だ。
何かの対象に集中してる状態では、対象と自分が二つある、
どれだけやっても主体と客体は分裂したままだ。
ある程度対象に集中したら、自分の集中した状態に集中すればいい。

多分それなりに思考の観察してればできてるんだろうが、集中の状態を強烈に身につければ、
エネルギーが思考に行く余裕がなくなる。
そうすれば思考を観察しようとしても思考が浮かばなくなる道理となる。

wikiにだってヴィパッサナ瞑想をする条件は少なくとも初禅に入ってるとある。
しかし初禅は尋と伺つまり思考が残ってる状態だからここら辺で観察すると思考の観察云々になる。

そこからさらに入って二禅になると尋と伺つまり思考が消えた状態だからここら辺でやれば思考の観察云々はナンセンスとなる。

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  • 814
  •  
  • 2013/03/27(水) 18:47:23.05
>>803
ですから安心して・・・
これをKは頑なに言わなかったな。
理由は明白ではあるがスパルタ教師だと思うw

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  • 815
  •  
  • 2013/03/28(木) 00:42:14.61
> 意識すること、気づくことにより、愛がそれを包括するんです。

これ、必ずそうですか? 何か前提がありませんか?

ここまで見た
  • 816
  •  
  • 2013/03/28(木) 02:08:08.04
>>815
やってごらんになれば解る。
試しに今、全身を意識してみてください。
意識を全的に(クリ翻訳表現w)身体に置き、身体を意識し、それとともに居てみる。
そのとき何を感じるか、それが答えです。

お絵かきランド
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