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  • 2024/06/12(水) 13:43:50.09
>>508
日ソ不可侵条約破棄の原因は100%日本側にある。
ソ連がヨーロッパ戦線で苦戦中に、わざと満ソ国境で大規模演習(関特演)やってスターリンを挑発した日本が愚かだった。

日露戦争でも日本軍がそれまで国際的に慣例となっていた宣戦布告も無しにロシア陣地を攻撃してる。
これが国際社会で大問題となって1907年の万国平和会議で討議、署名され成文化された。
つまり当時の大日本帝国は紳士協定も守れない蛮族の集団だったということ。

ちなみに日本が約束を反故にしたのはこれらに留まらず、北方四島の帰属についても信義を欠く行動を取っている。
日本政府は1951年10月の国会答弁で「日本が放棄した千島列島には択捉島と国後島が含まれる」すなわち「択捉島も国後島も日本の領土ではない」と公式に認めてしまった。
にも関わらず、アメリカの圧力(いわゆるダレスの恫喝)に負けて前言撤回したのだ。

二島返還で平和条約を結ぶという方向で両国は交渉を進めていたのに、裏切ったのは他でもない日本なのだ。

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