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  • 704
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  • 2024/04/04(木) 14:52:06.32
>>697
>大正七(一九一八)年に着工、当初は工期七年の計画だったが、実際は十六年間に及び費用も三倍以上かかった。
>難航したのは、日本列島を真っ二つに分断する大断層を突っ切って掘るということ、芦ノ湖の三杯分にも及ぶ湧水と、
>空気に触れると膨張する「温泉余土(よど)」に絶えずさえぎられたからだ。
>工事は盆地を潤していた柿沢水系の水を抜いてしまい、ワサビ栽培も稲作もできない地域になってしまった。

>この苦境が転機になった。トンネル開通で東京への輸送が便利になるとして丹那から鉄道駅への道が改良された。
>後に函南東部農業協同組合の組合長に就任する近藤春雄は、稲作にかわるものとして酪農の振興に力を入れることにした。
>丹那牛乳の始まりだ。
>近藤は昭和三十(一九五五)年「丹那牛乳」のブランドを立ち上げ、同三十五年函南東部農協の組合長に就任。
>牛乳処理工場の整備・拡張や三島、沼津、熱海などへの販路拡張など積極的に経営を発展させた。
>同四十七年には東京へも販路を開拓し丹那牛乳のブランドを確立した。
>平成十八(二〇〇六)年四月、商標法改正で地域団体商標が認められるようになり、
>翌年四月地域ブランド(地域団体商標)として登録されたのである。

大成功ジャン。

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