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- 2023/11/23(木) 21:59:18.30
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宝永の大噴火にしても2週間で収束しています。
朝鮮マスコミの誇大宣伝には気を付けましょう。
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https://www.jstage.jst.go.jp/article/kazan/47/3/47_KJ00001053042/_pdf
『折りたく柴の記』の富士山噴火に関する記述は桑原(1969)の現代語訳によれば,
十一月二十三日,午後,参上せよと仰せがあった.昨夜,地震があり,
この日の正午ごろ,雷が鳴った.家を出るとき,雪が降っているように見えるので,
よく見ると,白い灰が降っているのである.西南の方を見ると,黒雲がわき起こり,
雷の光がしきりにした.西の丸にたどりつくと,白い灰が地をおおい,草木もまた白くなった.この日,
殿は本丸に出られ,午後二時ごろに帰られ〔この日,柳津吉保殿の子息
二人が位を授かったからである。やがて御前に参上すると,空がはなはだしく暗いので,
あかりをつけて進講をした.午後八時ごろに,灰の降るのはやんだが,大地
が鳴動したり,あるいは震えることがやまなかった.二十五日にまた空が暗くなって,
雷が鳴るような音がし,夜になると,灰がまたひどく降った“この日,富士山が噴火して,
焼けたためだ"ということが伝わった.その後黒い灰の降ることがやまず,
十二月のはじめ,九日の夜になって雪が降った. このころ,世間の人で咳になや
まされない者はいなかった. このようにして年があけると,宝永五年正月元旦,
異常な大雨であった.閏の正月七日,去年富士山の噴火によって,
この付近の国ぐにの土地をうずめた灰や砂を取り除くための課役を,諸国に
割り当てられた. c武蔵・相模・駿河の三国の土地のためである.百石の土地につき金二両ずつを
献上すべしということである
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