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- 838
- 2023/09/20(水) 09:30:30.57
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>>767
まだそれ信じてる人いるんだ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AD%97
江戸時代には苗字帯刀が制限されたことから、庶民の多くには「名字がなかった[6]」と語られることがある。だが、1952年の洞富雄の研究を契機に、そのような時代でも私的には貧農すらも名字を持ち、行事等で使用していた事例が全国から大量に報告され、庶民に名字がなかったというのが否定された[7]。明治以降、名字を持っていなかったか不明となっていた場合には新たに「創氏」しなければならなかった際に歴史上有名な人物の名字や魚、野菜の名などを戸籍に登録した例がおもしろおかしく伝えられたので、庶民は名字を持っていなかったという「俗説」が生まれたのだと説明されている[8]。特に農村上層部では名字とは別に姓を名乗る者もあり、甲斐国の地主「依田民部源長安」(1674〜1758)のように、源姓と百官名を自称する者さえいたことが確認されている[9]。
庶民の公称許可の名字は、それ自体が公的存在であり、幕藩封建体制下の家格・由緒を示すものであった。したがって公称許可の名字は公的存在であったので、それを公的に名乗れるのは当主を中心とする男子であった。公的活動が認められていなかった女性には、名字は無縁の存在であった。この場合の妻の名字も夫婦別名字であったが、公儀・公務に関わりがなかった妻にとって名字は重要ではなかったといえよう。「〇〇女房△△」「〇〇内儀△△」の表示で十分であった[10]。
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