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- 2022/08/06(土) 19:10:25.72
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2022.08.06 乗りものニュース編集部
旧日本海軍の空母「雲龍」が1944年の今日、竣工しました。航空戦力を補強するため、戦没した「飛龍」の図面を流用し量産を試みた中型空母の1隻でしたが、敗色濃くなるなか、戦果らしい戦果はあげられませんでした。
https://trafficnews.jp/post/121192
「飛龍」の設計図流用し中型空母を建造
1944(昭和19)年の8月6日は、旧日本海軍の航空母艦「雲龍」が竣工した日です。当時、すでに航空戦力が勝敗を左右することは周知の事実となっていましたが、戦局は圧倒的にアメリカ有利に傾いており、就役しても搭載する航空機がないなど、その存在意義に疑問符が付く空母となってしまいました。
https://contents.trafficnews.jp/image/000/060/642/large_220228_sztk_01.jpg
1944年7月16日、横須賀で撮影された航空母艦「雲龍」。
太平洋戦争開戦から半年後の1942(昭和17)年6月、ミッドウェー海戦で主力空母を4隻失った日本は中型空母の建造を急ぎます。こうした経緯で生まれた雲龍型空母は10隻あまりの建造が計画されたものの、戦局の悪化などから3番艦「葛城」を最後に終戦を迎えます。
「雲龍」は、前出のミッドウェー海戦で沈没した「飛龍」の図面を流用して建造されました。ただ、それまでの実戦における使い勝手などは反映されており、たとえば艦載機の離着艦の際に不都合を生じた左舷側の艦橋は、「蒼龍」と同じく右舷側に設置されています。ほかにも対空機銃の増設や格納庫エレベーターの大型化なども施されました。
しかし「雲流」が竣工した頃は、サイパン島およびグアム島を巡って勃発したマリアナ沖海戦で旧日本海軍が敗北した直後。航空機や搭乗員を多数失い、そもそも搭載する航空機がないばかりか、燃料も十分ではありませんでした。そのため、「雲龍」は空母としての任務に就けないまま、訓練などを行い待機し続けます。
【次ページ】 「輸送船」として使ったことも、犠牲者増大の要因に
https://trafficnews.jp/post/121192/2
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徳山ダム「もう完成したのかい?早いなwww」
工期おかしくても予算出るとか、
事実上の横領だから、常識越えてるなら、調べてさっさと署っ引け。
政治家も閣僚も公務員も、仕事しろよ。
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>>25
そういう、「何時何分何秒で地球が何処にいるとき?」みたいな幼稚園児が喜んでするはなしをしているんしゃないのよ。
ここで説明している「既に載せる艦載機が無い」って言うのは、ほんとに物理的に一機もない状態だったか?を言ってるわけじゃない。そもそもじゃあ雲龍に定数を満たした艦載機が載せられさえすれば、それだけで米国を降伏させられた戦果が挙げられるかと言えば、そんなことあるわけじゃないし、軍が作戦や行動をするには部隊が幾つも必要なわけで、完全ではなくても、ある程度、かつ、なにかしら効果的な戦果が期待できる見込みがたつような組織的な作戦行動が建てられるには、保有している部隊の多数にある程度の戦力を持たせる必要があるわけで、雲龍が前線に投入された時期には、既に十分でない状況だったと言うのを説明しているだけなんだよ。
雲龍に艦載機を載せてそこから攻撃機を発艦さえさせたら、ウルトラマンのスペシウム光線や、宇宙戦艦ヤマトの波動砲よろしく、
一撃で相手を粉砕できるならもちろんそれをやるに決まってんだろうが、だれが考えてもそんなことが起こらないのは明白だから、余裕がない貴重?な戦力は、もっと有効?に使ったほうがよい、あるいはそうせざるを得なかった状態だったってことよ。
日本全国をなんとか防御しなきゃならない、しかも戦力が足らないのに、本来余裕がある状態で敵を攻めにいくのに向いているだけの雲龍いっかん
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