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- NAMAPO ★
- 2022/08/06(土) 09:58:36
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米軍による広島、長崎への原爆投下から今年で77年。核兵器の非人道性を証言してきた
被爆者が高齢化し減少する中、その惨禍を記録した写真の役割は増している。撮影者の
「あの日」の体験や、写された街や人の被害をたどり、その意味を見つめ直す。
きのこ雲の下で何が 8月6日とらえた5枚の写真
湧き上がる巨大なきのこ雲を仰ぎ見るように捉えた4枚の写真がある。建物の軒や松の枝
が映り込んだカットはどれも少しずつ角度が異なり、刻々と形を変えていく原子雲を
フレームに収めようとした撮影者の心情が読み取れる。1945年8月6日、広島に原爆が投下
された直後、当時16歳だった深田敏夫さん(2009年に80歳で死去)が爆心地の南東約2・6
キロの地点から撮影した。
深田さんは旧制崇徳中を4年で卒業した後、在学中から継続する形で陸軍兵器補給廠
(しょう)(現広島大霞キャンパス、広島市南区)に動員されていた。「学友のなかで
カメラに熱中している者がかなりいて、私もその一人であった」(広島原爆戦災誌
1971年刊)。45年8月6日も、ズボンの後ろポケットには小型カメラを入れていた。
本人の証言や手記から、深田さんのあの日の撮影状況をたどることができる。
出勤途中にパンクした自転車を押して、汗だくで兵器補給廠に到着。ぎりぎりで間に合った
朝礼を終えて、その日の作業現場だった赤れんがの兵器庫前で指示を待っていると、突然の
閃光(せんこう)を感じた。とっさに建物の中に走り込んだ直後、爆風に吹き飛ばされた。
「兵器庫の中は、砂と埃(ほこり)で一瞬のうちに暗やみとなり、私はずっと更に奥の方へ転がされていた」
(抜粋)
https://news.yahoo.co.jp/articles/067001ec8c0b5fda894c3bbf5065ab1b36ebdacc
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- 2022/08/06(土) 10:02:03
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勝てない戦に諸手をあげて賛成したアホ国民の末路自業自得
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- 3
- 2022/08/06(土) 10:02:42
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>>1
ということで、今日は「電力不足キャンペーン」の方は
おやすみになりますw
政府広報
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- 4
- 2022/08/06(土) 10:02:52
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落寸号令雷
落寸号令雷
落寸号令雷てなんですのん?
ピカです(キッパリ!)
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- 5
- 2022/08/06(土) 10:03:05
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ラッスンゴレライ
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- 6
- 2022/08/06(土) 10:03:24
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見たこともない気色みてみたいな
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- 7
- 2022/08/06(土) 10:03:44
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見たこともない大爆笑
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- 8
- 2022/08/06(土) 10:03:53
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>>2
これな
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- 9
- 2022/08/06(土) 10:03:57
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俺の親は学も知識もなかったけど日本が負けるとは思っていたそうだ まあさすがに本土攻撃を受けると負けると思うのかな
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- 10
- 2022/08/06(土) 10:06:25
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壺を買えば皆助かったのに
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- 2022/08/06(土) 10:06:50
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この世に悪魔がいるとすれば
それは米国人である
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- 12
- 2022/08/06(土) 10:06:51
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巨大なきのこ雲は、約40キロ離れた県北の地でも目撃されていた。広島県高田郡本村(現安芸高田市美土里町)で農林業を営んでいた織田吾郎さん(99年に86歳で死去)が、その光景を写真に収めている。
当時32歳。高台にある自宅の台所で閃光を感じて外に出ると、南の山の向こうに異様な雲が見えたという。最初は桃色のシュークリームのような形。「みるみる雲が膨らみ、広島の方向が真っ暗になった」と、86年8月3日付の中国新聞の記事で証言している。
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- 2022/08/06(土) 10:06:59
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散々鬼畜呼ばわりしたらこのザマよ
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