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- 518
- 2021/11/28(日) 14:15:56.02
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>>514
1発目を京都で核爆発させたかったのは事実だが、トルーマンはルーズベルトとは違い反共思想の持ち主
ルーズベルトは京都へ投下して日本人を総アノミー化し、共産主義に染めて根底から破壊しつくすよう周到な計画を立てていたものの、神が許さず日本が降伏する前にぽっくり行った
トルーマンが大統領になってからは、明白な警告を示すため第二の東京状態であった広島が第一目標となった
トルーマン自体は1発しか使われない認識だったものの、バーンズなどの計画実務派は比較対象のために2発使いたかった
こいつらが第二目標にした小倉を本気で攻撃する気がなかったのは、当日未明に八幡を空襲していることからも明らか
すでに隣接地空襲で「前日爆撃した都市から風下側にある目標が見えない」と報告書が上がっていた
バーンズが国務長官になったのは1945年7月3日
京都が復活されず、長崎が追加されたのは7月25日。その日に原爆使用命令がトーマス・T・ハンディから出された
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