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- 509
- 2021/11/28(日) 09:47:47.06
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>>499
そもそもルーズベルトが頓死する1945年4月までアメリカは降伏交渉すら受け付けていない
実は日本はあ号作戦が失敗した1944年7月の時点で降伏を模索し、交渉すべく手を尽くしたが
第三国経由ですらアメリカは拒否した。これではどうにもならない
そしてルーズベルト頓死後、トルーマンは早期の戦争終結に前向きだったのだが
ルーズベルトの遺志を継いだバーンズ国務長官が強硬に反発。日本の全ての大都市への原爆投下を主張
この時点で民主党内で非常に強い発言力を有していたバーンズの意見を無視できず、トルーマンは原爆投下を承認した
なお、バーンズ国務長官は戦後もことある事に原爆を使いたがり、第三次世界大戦起こしかねないということで罷免された
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