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- 407
- 2021/06/12(土) 08:06:52.45
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>>403
北東アジアにおける農耕(雑穀)の起源は遼西(BC4500 紅山文化)にあり、およそ3500BCに沿海州のハンカ湖、北朝鮮へと同時期に拡散する
農耕を受容したツングース語族が人口を増大させ、沿海州に在来していたAmuric(ニヴフ語族)を征服し
それら狩猟採取民の原始言語を塗り替えたため、最終的にニヴフ語だけがアムール川で孤立化することになる
稲・雑穀の複合栽培の起源は、山東半島にあり、この農業パッケージはやがて遼東・韓国・日本へと拡散する
支石墓(ドルメン)の分布とも密接に関連しており、このものたちは日流祖語・朝鮮祖語を話していた可能性が高い
ヨーロッパのドルメンも農耕との関係を指摘されているが、東アジアの支石墓もやはり農耕の伝播を伴った
考古学的に実証された中国最古の王朝(1600BC - 1046BC)の「殷」に山東半島は含まれておらず、
東夷(Dong-yi)と呼ばれていた。ならば、この時代まで山東半島では日流祖語・朝鮮祖語が話されていたのだろう
Language dispersals associated with millet farming in Neolithic Northeast Asia.
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