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- 2021/05/08(土) 09:39:56.71
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今ではフランスというと「軟弱」というイメージですが、
100年前までは、ど根性の塊みたいな国民でした゜゜゜゜゜-y(^。^)。o0○プハー
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1914年8月西部戦線のドイツ軍が攻勢を始めた。対するフランス軍は
その南方の独仏国境方面で攻勢にでた。この攻勢は普仏戦争の講和条約で
ドイツ領となったアルザスロレーヌ地方を奪還しドイツ中央部への侵攻を
目指すというものである。
当時のフランス軍はどんなに大きな損害を出しても攻勢を続行して勝利を
目指す「徹底攻勢」(offensive outrance)主義を取っており、独仏国境で
無謀な歩兵突撃を繰り返していた。最初の4日間で14万人の犠牲者を
出した。ちなみに日露戦争の旅順戦における日本軍の戦死者は5万人。
その3倍近い犠牲者を4日間で出したことになる。
【出典】『軍事研究』2015/11月号「国家総力戦の現出」
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