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  • 54
  •  
  • 2021/05/04(火) 09:58:38.10
>>32
祖母である二位の尼(平時子)か按察使局が抱いて入水ということになってて母親ではないでしょう。
どちらであるかは平家物語を取るか吾妻鏡を取るかで異なるが、多くの場合は「海の底のも都はございます」と言って二位の尼が幼帝を抱いて海に飛び込んだという平家物語の描写が採用される。

母である徳子(建礼門院)は安徳帝のあとに飛び込んだが救出された、あるいはあえて生き残った。

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