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  • 603
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  • 2021/02/24(水) 20:30:53.15
>>599

さらに近世の琉球社会では、中国の儒教をもとにした価値観が広まっていきます。それ以前の儒教は中国系の久米村など一部で受け入れられていたにすぎませんでした。ところが、琉球王府は儒教イデオロギーを国家的な思想として採用していきます。

久米村によって主宰されていた孔子廟の祭礼は、やがて国家的祭礼に引き上げられ、歴代王に対する祭祀も久米村の意見を聞いて、可能なかぎり中国式の祭祀方法に変更します。
国家の教育も儒教をもとに行われるようになり、庶民には儒教倫理のテキスト「御教条」を読み聞かせていきます。さらに中国の風水思想も導入され、風水にもとにした亀甲墓・シーサー・石敢当・ヒンプンなどが次々と琉球に定着します。こうした文化が琉球全体に普及したのはこの時期です。

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