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  • 2018/08/13(月) 13:24:59.29
ここまでのまとめ

(創業,急成長期:勝久氏)
・1969年,勝久氏が大塚家具創業
 以後,経済成長の波に乗り,店舗数を増やし売り上げ急増
 ★昭和型国内成長企業である,物質が富の象徴,地価が上がり,物価が上がる時期
  ともあれ,勝ち組となった勝久氏は昭和型企業成功者
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(社会状況の急変期:勝久氏)
・1994年,大規模小売店舗立地法改正により,業務内容の拡大を指向するようになる
 銀行を退職した久美子氏が入社し,企業体質の再編を行う
・2001年に最高益を達成したが,社会状況の変化やイケア,ニトリ等の台頭により,
 家具需要や業界内シェアが低下していくこととなる
・2004年,久美子氏が退任,大塚家具と離れ,コンサル会社を設立
 ★社会変化による需要の低迷と低価格型ライバル店の台頭
 ★旧来商店型ルーチンの効率化を行いはしたが,従来型経営からは脱却できなかった
 この時期に「勝ち組or生き残り」への確固たる経営方針の構築ができなかったことにより,以後,ジリ貧となっていく
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(親族を優遇したあげく,不祥事を起こす:勝久氏)
・2005年,執行役員制を導入,従業員出身の取締役を解任し,5人の取締役全員を一族から選任
・2007年,インサイダー取引により金融庁から課徴金勧告
 ★親族への優遇と従業員功労者冷遇への流れ
 ★インサイダー取引=2世経営陣の守銭奴化
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(新旧対立:久美子氏→勝久氏)
・2009年,業績低迷を見かねた久美子氏が復帰,代表取締役社長に就任
 勝久氏の経営方針からの脱却を図り,新規顧客層の開拓を企図
 ★一時的に業績改善がなされたが,時すでに遅し,抜本的な改革には至らず
 改革も教科書的,モノマネ的で,後追い(←これでは勝てない)であった
・以後,己の経営方針が否定された勝久氏が激高,内部対立が顕在化
 2014年,久美子氏解任,勝久氏が社長復帰,従来型の経営に戻したため,業績はさらに悪化
 ★お家騒動として,マスコミの餌食になる,企業イメージとともに業績が急落していくこととなった
  長年に渡って築いてきた企業イメージを自ら落とす,わけのわからない人達である
  ジリ貧企業の命がさらに縮まってしまった
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(さようなら:久美子氏)
・2015年,久美子氏が社長復帰,勝久は退任し別会社「匠大塚株式会社」を設立
・2017年,米ファンドや支援を受けた企業の持ち株比率が増大
・2018年5月,創業の地(春日部市)の大型店舗を閉鎖
・2018年8月,自主再建困難との報道
 ★100億近くあった内部留保金はどこにいったのやら? 

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