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  • 2016/12/01(木) 01:49:36.12
【フィリピンに3億円の賠償済み】小野田さん帰国 42年後の真実 【フィリピン人を「土人」と呼び人間扱いしない日本人】
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2016_0726.html
「小野田氏ら元日本兵により30人が殺され、100人が傷つけられた」
「何らかの手を打たなければ、フィリピン側の世論も納得しない」
戦争の終結を知らない残留日本兵らが、地元の住民に深刻な被害を与えていたことが公文書で初めて確認されたのです。

「かかる人的、物的損害に対し、日本政府は補償する動きがあるか」
交渉の中で、フィリピン側は、被害への補償の有無を打診していました。
日本政府は1956年のフィリピンとの協定で、戦後賠償は解決済みとの立場でした。しかし一方で、
現地の被害者や遺族たちが声を挙げ、反日世論が高まることを懸念し「見舞金」を支払う検討を始めました。

「被害者らは、損害賠償請求権を行使するおそれがある。見舞金は、請求権行使を思い止まらせる効果をもつであろう」
日本政府は、見舞い金として3億円を拠出する方針を固めていきました。

島の人々には、残留日本兵の記憶が今も刻まれていました。島民の男性は「私たちの家も田んぼも元日本兵に焼かれてしまいました恐ろしかったですよ」と話していました。

7人の子どもがいたクリスティーナさん。夫の死後、事務員をしながら、子どもたちを育てました。日本政府から支払われた3億円の存在は聞いたこともなく、
「1人で子どもたちを養って、学校に通わせました。どんなに大変でも、じっと耐えるしかなかった。今も生活は大変です」と話していました。

ルバング島の元町長も私たちの取材に対し、3億円が住民や島のために使われた事実はないと答えました。

参考
40年前、お風呂場で小野田寛郎さんがポツリと言った「(終戦を)知っていた」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamadajun/20140124-00031918/
小野田寛郎さんはサイコパスだった
http://gabasaku.asablo.jp/blog/2016/03/18/8052997
フィリピン人を「ドンコー」(土人)といい人間扱いしなかった

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