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- 2016/10/19(水) 08:53:41.29
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この件に関しては共産党が一番まとも。
実は戦後一貫してこれを主張していれば4島は戻っていた。
ゴルバチョフの時の交渉で、ロシアは本気で決着しようとしていた。
ただ日本の主張は「4島返還」で、有り得ないことに最大限譲歩のラインも「4島返還」だった。
外交交渉の基本中の基本ができてなかった。
話し合いで決着を図るなら、その結論は「中間」に落とすことしかできない。
一方の要求が100%通るなどということは、武力を背景にしない限り不可能だ。
ロシアの交渉担当外交官は当時同じく日本側の担当官だった東郷氏にこう言ったという。
なぜ死守するラインが4島なら要求を4島にしたのだ、と。
千島を全部返せ、と要求してくれていれば4島で決着できたのに、と。
当時の新生ロシアはそこまで困窮していた。最大のチャンスを外務省のポカで失った。
そればかりか2島が攻防ラインだという経緯を積み上げてしまった。
これでもう4島を取り戻すには戦争して勝つか、それ相当の脅しがかけられる経済状況にならない限り不可能。
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