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  • 2021/11/22(月) 02:26:25.40
「記録に残らない」

日本シリーズはペナントレースの公式戦以上にミスが流れを変える。ミスといっても作戦やサイン、配球など様々な種類があるが、短期決戦で特に
響くのが失策と継投ではないだろうか。81年の巨人−日本ハムのシリーズでは、取り分け守備と継投が大勢を決めたといわれた。
第1戦から角三男、江夏豊の両リリーフエースが打ち込まれる乱戦でスタートして、第3戦まで3試合連続1点差試合だったが、日本ハムが2勝1敗で
リードした第4戦の“記録に残らないミス”が勝敗に影響した。
2−1と巨人リードの7回裏、先頭で四球出塁した河埜和正が6回から登板の4番手・宇田東植の牽制に誘い出されたが、一塁手・柏原純一が二塁
方向へ深追いし過ぎて河埜を二塁に生かしてしまった。大沢啓二監督はすぐに投手を杉山知隆にスイッチしたが、一死後に今度は高代延博が
中畑清の遊ゴロを間に合わない三塁へ野選、河埜と打者走者中畑を生かしてしまい淡口憲治の2点二塁打、原辰徳のシリーズ1号3ラン、山倉和博
にも1号という一挙6点で試合を決めた。巨人・藤田元司監督は「あの6点でベンチ全体の胸のつかえが取れた気がした」と試合後に述べたように、
チームに勢いが備わり後の第5戦以降にも繋げた。

日本ハムの継投内容はどうだったか。先発・木田勇の後を投げた成田文男、宇田、杉山への継投は当時から大沢の奇襲ではないかと賛否が
分かれたが、大沢にとってはただ奇を衒ったわけではなかった。1−1の同点ながら木田を5回から成田に代えたのは、先頭の河埜に始まり好調の
平田薫、中畑、両打ちのロイ・ホワイト、柴田勲というように右打者が続くという点と74年ロッテ時代にシリーズ経験がある点、そして木田が2回を
除き毎回得点圏に走者を背負っていたからだったが、結果的に成田が先頭河埜に決勝の被弾を浴びた。

6回からの宇田や杉山への継投については、2勝していた工藤幹夫へのスイッチは無かったかという論調があったが、工藤は第1戦から3連投して
いた事に加え3試合での4イニング無失点という働きぶりから、1点差とはいえビハインドの6〜7回から使うわけにはいかなかった。しかし第4戦の
それはミスではなく、第2戦に1点ビハインドの場面で逆転を信じて登板させた事こそが記録に残らない綻びだった。第4戦で流れが変わり運と勢いの
消えた工藤は中2日で第5戦も登板したが原に中押しの適時内野安打、王手をかけられて5試合目のマウンドとなった第6戦も原に勝負を決定付ける
一発を浴びてしまった。 (了)

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