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  • 2021/03/31(水) 20:59:50.03
「負けなかった男」

2021年に日本プロ野球に復帰した楽天・田中将大が24連勝して勝率10割を達成したのは2013年、2リーグ分立後史上2人目の記録だった。
田中の前の史上初となる「勝率10割」はそれからまた32年前の81年、日本ハム・間柴茂有が15連勝したものだった。
大洋時代は8年間で13勝27敗、しかし日本ハム移籍初年度の78年に自己最多の7勝を挙げると、80年には11年目にして初の2ケタとなる10勝を
挙げていた。81年最初の登板は先発で1回も持たず5失点したが味方打線が後半に逆転、これが神話の始まりだとは誰も想像もつかなかった。

2度目の先発で5回を投げ勝利したが次の2試合では救援登板したように、4月は先発と救援の兼用投手だった。5月からはローテーションに入り
前期は5勝したが、3回持たずにKOされた試合が4度もあり防御率も5.29と悪かった。後期も最初は救援でしかも3回2失点の内容だったが、
次の登板から先発で5連勝すると、一つのKOを挟んで4連続完投を含みまた5連勝して後期は10勝で負け無し、防御率も2.16の出来でチームの
後期Vにも大きく貢献した。
前年習得したフォークボールを使いこなせたのも良かったが、新加入した江夏豊の存在が何よりも大きく、外角直球の重要性を学んだ事に加え、
間柴本人も言うように「7回までと思って飛ばしていける」という精神的なゆとりも好材料となっていた。江夏は間柴が挙げた9つの完投勝利以外の
6勝で、全てセーブを挙げて実力でも間柴の助けになった。急成長の大きな要因として、強運を見逃せないのも事実だった。KOの多い前期とは別に
後期は神懸かり的な事象も重なった。
9月7日の南海戦では、3回の門田博光に浴びた3ランのみで9回まで投げ切るも打線がゼロ行進、ここまでかと思いきや9回裏に打線が山内孝徳を
攻略、トニー・ソレイタの適時打で口火を切ると古屋英夫の同点打と岡持和彦の決勝打で劇的なサヨナラ勝ちでの13勝目。翌週の阪急戦でも6回を
終えて2−3の劣勢、しかし7回表の一死満塁で井上弘昭が放った併殺コースのゴロを三塁手・島谷金二がトンネルして同点に追い付くと、古屋と
岡持にも適時打のビッグイニングで逆転、リードをもらった間柴は悠々完投で14勝目を挙げた。最下位・近鉄に7勝、5位・南海に5勝というカードの
巡り合わせも強運だった。

プレーオフでも第3戦に完投勝利で、この年無傷の“16連勝”だった間柴は優勝後に連勝について「本当なら4敗くらいしてもおかしくなかった。
11勝あたりから周りが騒ぎ始めたけど、後期は優勝争いをしていて意識する暇もなかった。それよりもチームの優勝が嬉しい、自分が何もしなくて
優勝じゃ寂しいですもんね」と強運ぶりを認めながら、自身が負けなかった事よりも自身の記録を原動力にチームが勝ち切った事の方が嬉しいと
喜びを語っていた。 (了)

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