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  • 2020/04/18(土) 19:33:40
「武器」

9月以降の終盤30試合を21勝6敗3分け、驚異的な高勝率を挙げた広島の81年だったが、優勝争いに絡む事はただの一度もなかった。3連覇を
目指す前年王者の数ある武器の中で、機動力は他球団のそれより特に優れたものを持っていたが、チーム盗塁は54個でまさかのリーグ最小だった。
81年広島は打率、本塁打、得点でリーグトップだったが、機動力ダウンで相手に与える威圧感に欠けた。そうした意味で80年、2年連続盗塁王に
なった高橋慶彦と同じくチーム2位の17盗塁を記録した山崎隆造の開幕前の故障は、広島に大きなダメージとなって夏まで響いた。

「78年から元々良くなかった」という膝の状態が開幕前に悪化した高橋の“開幕”は5月頭、膝の水を抜きながら試合に出続けたが14盗塁に終わり、
打率もレギュラー4年目で初めて3割を切った。シーズン中は「盗塁のタイミングがなかなか合わなくて」と話していたが、患部がまだまだ治りきって
いなかったというのが実情だった。じっくり治してから復帰という手もあったはずだったが、高橋は「当時のカープは皆がどこか痛みを抱えながら試合に
出ていた。僕も折角のレギュラーを渡したくなかった」と当時のプロ意識を振り返った。
山崎が一年を棒に振る右膝骨折の大怪我を負ったのはオープン戦での事、二塁手でのレギュラー定着を期待されていたが、故障は皮肉な事に外野
守備でのフェンス激突だった。三村敏之と木下富雄の併用となった二塁手だったが、三村は33歳で往年の打撃を披露できず、木下は堅実ながら
打率および出塁率が伸びなかった。

チームは前半から5割近辺の戦いが続き、7月頭には2位と2差ながら最下位に転落、球宴折り返しは5位で借金も5つあった。後半戦は意地の2勝
1敗ペース、二番を打つ事もあった高橋を一番に、二番には衣笠祥雄を固定してから勝ちだした。山本浩二、ジム・ライトルの100打点コンビや水谷
実雄ら主軸にとっても、高橋の存在があってこそというぐらい機動力は広島野球に無くてはならない武器となっていた。そして翌年以降、古葉竹識
監督がこの年の巨人を意識してか、山崎や長嶋清幸ら若くて走れる選手の育成に取り掛かる事になる。 (了)

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