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  • 2010/11/23(火) 11:37:36
かつて中村武志が横浜時代に「川村に聞けばどんなことでも教えてくれる」って言ってた。
これに松家や加藤武治がいた当時の横浜投手陣の偏差値は無駄に高かったなw


そういうわけで高学歴の野球選手について語りましょう。
プロアマ特に問いません。

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  • 2012/01/12(木) 21:04:16.70
<文武両道のススメ> 久木田紳吾 〜史上初の東大出身Jリーガー〜


 おそらく、多くの人にとって東京大学への入学は至難のことに違いない。そしてサッカーのプロ選手になることは、より難しいことではないか。
いずれも困難な目標であるのに、両方をかなえた青年がいる。東京大学工学部を今春卒業し、サッカーJ2のファジアーノ岡山に入団した久木田紳吾である。

 どのように両立を果たしたのか。そもそも、東大に進んだのなら進路はいろいろありそうに思える中で、プロのサッカー選手になったのはなぜか。

「もともと、小学校低学年の頃から休み時間によくやるくらいサッカーが好きで。小学3年のときにクラブチームに入って、中学、高校とずっと続けていました。
やっている以上、プロとか日本代表への憧れはありました」

 だが、大学からもプロからも、どこからも勧誘を受けることはなかった。

「小さい頃から勉強もサッカーもわりとできたし、それで『負けたくない』っていうプライドもあると思う」と語る久木田にとって、挫折に近い経験だったかもしれない。
プロ選手への憧れを抱きつつ、東大を目指した。

東大の入学式で久木田の心を動かした教授の言葉。

「受験って結局、将来何になりたいかを前提に考えるじゃないですか。でもなりたいもの、やりたいことがまだ決まっていなかった。
東大は、入学してから専門を決めるまでに2年余裕があるのでいいなと思いました」

 県立熊本高校時代、受験勉強は、「入試前の3、4カ月は1日9時間くらい勉強しましたが、
それまでは予習と宿題をしっかりやって、授業を聞くことで復習まで終わらせる、みたいな感じです。家での勉強は1日1時間半くらい。
塾は行ったことがないです。だから、3年の7月の引退まで、サッカーを勉強と両立させるのに支障はありませんでした」

 将来どのような道を歩むべきかを探すために進んだ大学で、目標を決定付けたのは、入学式でのことだった。
祝辞のため登壇した一人の教授の言葉に、久木田は心を動かされた。

「福島智教授という、全盲ろうで教授になった方なんです。『誰も挑戦したことのないことに挑戦する』ことの大切さを話されていて、自分も、と思ったんです。
東大からプロになった人がいないのは知っていたし、やっぱり心のどこかにサッカー選手になる夢があった。これしかないと思いました」

 見定めると、勉強とサッカーのみに明け暮れる日々が始まった。

「2年生の途中からはテレビも観ませんでした」

「サッカーと勉強しかしなかったです。飲みに行ったりとか遊びに行ったりは、ほぼなかった。2年生の途中からはテレビも観ませんでした。
その頃引っ越したのですが、新しい部屋はテレビ線が部屋に届いていなかったんです。工事すれば見られると言われましたが、
夜観てしまうと時間の無駄だと思っていたので、観れなくなってちょうどいいな、と」

 東大サッカー部は、東京都リーグに位置する。いくらひたむきに励んでもプロのスカウトの目の届かない場所である。
その場所からどうアピールし、プロへの道筋をつけるか。久木田は、東大サッカー部に指導のため訪れる元Jリーガーなどにプロになりたい気持ちを伝え、売りこみを図った。
Jリーグのチームへの練習参加を頼み込みもした。すると、2年生のときに東京ヴェルディの練習に1日だけ参加を認められた。
さらに鹿島アントラーズの練習に3日間参加する機会を得た。

「鹿島のときは、コーチがいろいろアドバイスをくれましたし、Jリーグの1番上のレベルがどれくらいか、
肌で知ることができたので、すごいいい経験でした。コツコツちゃんとやればプロになれると思えました」
(続く)

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  • 2012/01/12(木) 21:08:02.27
(続き)
売り込みを続けた末に届いた岡山からのオファー。

 自身のプレーを編集したDVDを各チームに送りもした。そしてロアッソ熊本、もう一度鹿島、水戸ホーリーホック、岡山と練習に参加し、アピールを続けた。

 昨年7月、一本の電話が入った。岡山のスタッフからの東京に来るとの連絡だった。会うと、待っていたのは、オファーの話だった。

 久木田は考えた。他の選択肢はどうか、就職したらどのように進んでいくか、就職して30、40歳になったら、この時の決断をどう振り返るか。
1週間後、久木田は「夢を実現したい」と、岡山入りを決断した。

「親にはオファーを受けた時に連絡していて、最終的には自分で決めて報告しました。サッカー選手を目指すというのは知っていたし、
一応、否定はせずに応援してくれてました。ま、複雑な気持ちはたぶんあったと思いますけど、親の人生じゃないですからね(笑)」

 こうして、最高学府を4年で卒業しつつ、入学式に立てた目標、「東大初のJリーガーになる」を、達成したのである。

 今、東大で学んだ経験は、サッカーにどのようにつながったと考えているのだろうか。

「時間の使い方でしょうか」

 このように答えたあと、久木田は続けた。

開幕戦でフル出場を果たした久木田が語る課題とは?

「実現するには、どれだけ自分が目標を強く思い続けられるかが大きいんじゃないでしょうか。やっぱりやりたいことに対しては、
一瞬一瞬、無駄にできないと思うし、最大限やるじゃないですか」

 実際には、多くの人は妥協を選びがちだ。久木田が両立できたのは、その言葉を、文字通り実践できたからだろう。

 すでに昨年10月に特別指定強化選手としてチームに参加し、デビュー2戦目でアシストも記録した久木田は、
年が明け、本格的にチームの一員となった。今季開幕戦ではフル出場を果たした。

「課題はまだいろいろある。長所の運動量やスピードをいかしたプレーを出せるようにして、早い判断とか密集地帯でのスキルをあげていきたいです」

 文武両道を成し遂げた久木田は、プロとして第一歩を踏み出したばかり。

 妥協なき姿勢の先に、どのような未来が待っているだろうか。

http://number.bunshun.jp/articles/-/114708
http://number.bunshun.jp/articles/-/114708?page=2
http://number.bunshun.jp/articles/-/114708?page=3

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