1987年のプロ野球を語ろう [sc](★0)
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- 2010/12/29(水) 19:19:44
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>>296
と、低脳白痴がわめいております。
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- 2010/12/29(水) 19:30:38
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阪急が9月中盤から大失速して、西武の優勝をアシスト。
終わってみれば西武に9ゲーム差をつけられていた。
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- 2011/01/01(土) 04:31:30
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「折れた柱」
この年優勝した西武が初めて首位に立ったのは8月7日。開幕して80試合を消化していた。
それまで首位を守っていたのは上田利治の下で3年ぶり優勝を目指す阪急で開幕戦を除き2試合目から一度も転落せずにいたものだった。
4月11勝5敗、5月9勝8敗とスタートダッシュに成功した。前年松永浩美や簑田浩二も打つことがあった四番に石嶺和彦が座り、
前年の肝炎の影響は常に心配されていたが打線を引っ張った。負ければ日本ハムと入れ替わり初の2位転落という6月13日には
2年目石井宏が初先発初勝利、下旬には2位西武に連勝しピンチを逃れた。投手では前年1勝の山沖之彦が開幕から快調、
球宴までに9勝を挙げた。星野伸之も8勝(5敗)した。
首位を明け渡したのは、救援失敗を繰り返していたアニマルが藤井寺で満塁被弾した前述の8月7日。
離れまいと食らいつき8月下旬と9月頭の西武戦に共にカード勝ち越し。9月10日には一度首位奪回する力を見せた。
今ひとつ調子の上がらない佐藤義則を抑えに回し、山沖が9月中2日、中3日を厭わず完投勝利。星野はこの年全球団相手に完封を記録した。
しかし西武とは先発陣を中心とした投手力、すなわち積んでいた燃料に差があった。
3差で迎えた10月3、4日に連敗し西武にM5が点灯、阪急は力尽きた。競り負けた原因は強い阪急を支えていた3本柱の不振が大きかった。
山田久志、佐藤、今井雄太郎は30歳をとうに過ぎ山田は39歳、今井は38歳になっていた。優勝した84年から86年まで3本柱の合計勝利数が、
84年52勝、85年51勝、86年35勝。それがこの年はわずか18勝に終わった。4月は今井、6月は佐藤と山田が二軍落ちで一時戦線離脱。
冒頭で挙げた首位陥落の8月7日、この日も山田久志が2度目の二軍落ちをした日であった。高齢化の柱が折れた時期だったか。
山田に関しては開幕投手の件もあった。オープン戦不調だったことや、佐藤が前年防御率のタイトルを獲得した事が影響し
13年連続の開幕投手を逃した。上田と山田が大人同士の短い会話で決まったと表向きには流れた。しかし開幕投手を生きがいにしていた
山田の心理に微妙に影響した。山田の成績はもちろん、それにより萎縮した佐藤の成績も落ちた。上田は、
「エース交代の時期にさしかかっていたが、慎重にすべきだった」と話した。それまで新旧交代を他の監督に比べ割合スムーズに行ってきた
上田もこの時ばかりは反省の言葉。12年監督が監督業の難しさを改めて知った年であった。
今年もよろしくお願いします。
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- 2011/01/01(土) 22:05:46
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福本はまだ活躍していたの?
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- 2011/01/02(日) 01:33:33
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桑田 真澄 28登板 15勝6敗 防2.17
江川 卓 26登板 13勝5敗 防3.51
槙原 寛己 21登板 10勝6敗 防3.40
水野 雄仁 24登板 10勝4敗 防2.61
西本 聖 26登板 8勝8敗 防3.67
加藤 初 19登板 7勝1敗 防3.03
角 三男 57登板 2勝1敗1セーブ 防3.35
サンチェ 39登板 0勝3敗9セーブ 防2.82
鹿取 義隆 63登板 7勝4敗18セーブ 防1.90
なかなか萌える投手陣だな
桑田 槙原 水野は20歳そこそこだし
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- 2011/01/02(日) 09:54:28
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加藤が7勝1敗ってところが地味に凄いな。
ライバル広島に強かったのも見逃せない。
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- 2011/01/02(日) 11:14:32
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日本シリーズ第1戦で桑田がKOされた後に試合を立て直して
逆転勝ちにつなげたのが印象的だな。加藤は。
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- 307
- 2011/01/02(日) 19:16:57
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加藤もライオンズOBか。
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- 2011/01/03(月) 01:01:36
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この年の中日の小松は巨人戦に滅法強かった記憶がある。
巨人戦で完封勝ちした試合が結構あったはず
ただ、巨人相手に負ける時は
割と打ち込まれていたな
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- 2011/01/03(月) 17:15:57
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>>302
試合には出ていたけど、1番バッターとしては物足りなさがあった。
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- 2011/03/02(水) 23:31:41.81
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そうか?
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- 2011/03/03(木) 00:48:18.79
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成績は良いよね。
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- 2011/03/07(月) 22:43:03.90
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このころまでカネヤンの解説聞けたんだよなあ。
本当に面白かった。乱暴なところと含蓄のある話が綯い交ぜで。
堀内の解説は天狗だったなw
自分の指導者としての力を弁えないで、王監督采配批判炸裂だったw
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- 313
- 2011/05/04(水) 12:40:56.86
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ランスみたいな打者、NPBに現れないかな
2ちゃんでネタ要員になりそうだ
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- 314
- 2011/05/04(水) 12:55:52.24
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>>308
この年以降、小松は巨人にはメッタ打ちされたような。
正直、もう速球派のイメージはなくなってた。
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- 315
- 2011/05/04(水) 22:36:58.59
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87年小松 対巨人
5勝2敗5完投(3完封)
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- 316
- 2011/05/05(木) 09:48:51.62
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>>308さんのおっしゃる通り負けた2試合ともチームは二ケタ失点
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- 317
- 2011/05/05(木) 10:23:32.61
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しかし
1右 真弓
2中 田尾
3一 バース
4三 掛布
5二 岡田
6左 柏原
7遊 平田
8補 木戸
見た目からしたら、首位打者に三冠王にホームラン王
今年のタイガースより迫力ある
しかもラッキーゾーン
劣化と言っても今のタイガースの平均年齢とそう変わらないのに異常な劣化だった
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- 318
- 2011/05/05(木) 11:22:25.60
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>>313
ガイエルには期待してたんだがなぁ
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- 319
- 2011/05/05(木) 19:25:55.15
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この年のセリーグはホーナー旋風が吹き荒れた
日付は忘れたが、江川とホーナーの初対決は忘れられない
神宮球場のヤクルト×巨人の試合で、江川はホーナーを
確か無安打3三振に抑えている
(そのうち一つは3球三振)
江川って、大舞台や超大物が相手の時には
意外と燃えるタイプなのかも
(過去に「オールスターは燃えるんだ」という
ようなことを江川自ら語っていたし)
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- 320
- 2011/05/06(金) 18:52:30.89
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阿波野と西崎の新人王争いは見応えがあった
だが、新人王を決める記者の投票結果は阿波野の圧勝だった
俺的に、かなり意外に思えたなあ
もしかして、この年最下位の近鉄
(西崎のいた日本ハムは3位)から馬車馬のように働いた
ことが評価されたのだろうか
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- 321
- 2011/05/06(金) 19:00:30.38
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既出だろうが、NPBにおけるサスペンデッドゲーム
がこの年の7月?にあった
パの試合だったが、どことどこの試合だったかは記憶が曖昧だ
(試合会場は確か新潟県内の球場)
かなり久しぶりの適用だったらしく、新聞で詳しく解説されていた
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- 322
- 2011/05/07(土) 08:51:11.39
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>>321
南海の試合だよ。(相手はロッテ?)
門田らがホームランを打ち、本数は暫く「保留扱い」だった。
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- 324
- 2011/05/10(火) 10:07:03.92
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>>320
関東出身で関西球団に入った阿波野は東西の記者に名が売れていたから、などと説明されたけど、
似た成績だからこそちょっとでも上回る方に票が集まりやすい。
奪三振王は立派。
最下位球団で15勝は3位日ハムのそれより価値高いし。
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- 325
- 2011/05/10(火) 10:08:11.84
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>>323
まさに1990年に10勝してるが3年目で「終わった」のは確か。
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- 326
- 2011/05/11(水) 05:34:46.37
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見事に87年パ・リーグを制した西武。
だが86年88年と、打線が良かったのに比べこの年は
どういうわけか打撃がイマイチ。
チーム打率が.249ぐらいだったかな?
そのかわりチーム防御率が2点台と抜群によかった。
突然変異のように投高打低になった。
ちなみにその優勝した西武の中で、
小野だけが4勝11敗と大きく負け越して
悪い意味で目立ってしまった。
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- 327
- 2011/05/11(水) 10:58:10.43
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球宴前の北陸シリーズで負けた記憶がある
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- 328
- 2011/05/11(水) 15:17:15.72
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阿波野
32試合 22完投 15勝12敗 249回 201三振 防2.88 WHIP1.08
西崎
30試合 16完投 15勝7敗 221回 176三振 防2.89 WHIP1.12
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- 329
- 2011/05/11(水) 15:41:39.82
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西武の郭がこの年から先発に戻った
13勝(4敗)を挙げたが、なぜ前年(86年)はリリーフ
などをやっていたんだろうか
あとナベQが故障で出遅れて、中継ぎやリリーフをやっていた
86年の郭のポジション的に思えた
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- 330
- 2011/05/11(水) 15:50:09.26
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中日・星野監督が、凡退した打者やミスした選手を
ベンチ前で蹴飛ばしている映像が、よくテレビで流された。
これは当時全国中継の巨人戦でも見られたが、これに関して
は新聞の投稿欄でいろいろと物議を醸した覚えがある。
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- 331
- 2011/05/11(水) 16:01:28.33
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>>329
当時の西武を見ていたとは思えない内容だな。
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- 332
- 2011/05/11(水) 16:31:09.56
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>>331
あ、まったく違ってた?
細かいとこはかなりうろ覚えなので…
昔は西武主催試合はたまにTBS系で中継してた
もっとしっかり見とけばな
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- 333
- 2011/05/12(木) 11:07:30.34
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1987年西武は三本柱(東尾、工藤、郭)の成績(3人で貯金26)だけ見ると独走優勝してそうな気配。
しかし阪急と競り129試合目で優勝。
オフに中日に移る小野が貯金を食いつぶす
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- 334
- 2011/05/12(木) 11:09:33.03
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>>326
打率はチーム首位打者(石毛)が.269と悲惨な状態だったが、
チーム本塁打はリーグ1位だった。
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- 335
- 2011/05/12(木) 18:41:15.06
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王巨人ってすごく勝負弱くて、
肝心な時にゲームを落としたイメージが強い。
この年マジック2で迎えたヤクルト戦で16-2で爆勝して
優勝に王手をかけたが、マジック対象チームの広島が
この日の試合に勝ったために王監督の胴上げならず。
次の同カードでは逆転負けしてまた優勝がお預けに。
で、巨人が試合のない日に広島が中日に敗れて
やっとリーグ優勝を決めた。
なんかちぐはぐだった。
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- 336
- 2011/05/12(木) 23:27:56.89
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>>335
肝心な時 って何だろう?消化試合でないかぎりいつでも「肝心な時」と言いうるような
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- 337
- 2011/05/13(金) 04:06:28.86
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王巨人は勝つときは大勝するが、競った試合は弱い印象がある。
毎年の得失点差を見ても、もっと高い勝率を残してもおかしくない。
逆にこの時期の広島は試合巧者というか、相手から見て
いやらしい野球をやっていた。
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- 338
- 2011/05/13(金) 09:53:30.44
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データ上は「接戦を勝つ」能力なんて存在しない
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- 339
- 2011/05/13(金) 10:01:05.29
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浩二、衣笠の引退でランスとかいたけど機動力打線になったよね。
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- 340
- 2011/05/13(金) 11:54:59.77
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あのときの巨人で走れるのいなかったもん
松本は衰えて 駒田とか岡崎が1番打ってたんだぜ
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- 341
- 2011/05/14(土) 01:40:14.62
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>>337
でも、そんな巨人が妙に魅力的だったのもあるんだ。
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- 342
- 2011/05/17(火) 09:49:17.04
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この年の巨人は、シーズン途中から外人投手が一人加わった
名前はパセラだったっけ?
いつ頃の時期に加入したか俺は覚えていないがこの選手は、
来日後もいつまでたっても時差ボケが直らなかったらしい
結局一度も一軍に上がらないまま帰国している
俺はこの選手の写真すら拝見したことがない
もしかして、球団関係者の間にも写真すら残っていないかもしれない
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- 343
- 2011/05/18(水) 02:42:19.50
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二軍ではそこそこいい球を放っていた。
あくまでサンチェの補欠選手。
本人もその辺りの事は知っていてサンチェを引き摺り落として絶対上に上がるという
ような闘争心は全く無かったようだ。
だからいつも遊んでいた。
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- 2011/05/18(水) 02:46:30.94
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給料も良くて遊んでられるのだからこんなに楽しい事は無かったようだ。
妙な飼い殺し方をされて一年で帰った。
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- 2011/05/18(水) 02:52:56.92
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投手なのに背番号5を与えたあたりにパセラに対する姿勢が表れていたのだろうか
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- 2011/05/23(月) 01:06:23.25
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この年巨人がリーグ優勝を決めた朝日新聞のスポーツ欄で、
王監督をねぎらうコラムがあった。
アンチ巨人の代表格の朝日において、これは珍しいことであった。
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- 2011/05/23(月) 01:13:17.84
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この時代の巨人の野球は隙がありすぎた。
西武に歯が立たないのを見て、野球の質の差に驚いた記憶がある。
87年は、広島が出ていれば西武をかなり苦しめたかもしれない。
少なくとも巨人よりは競った展開に持ち込みそうだ。
それでも西武が勝っていただろうが。
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