1987年のプロ野球を語ろう [sc](★0)
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- 2010/06/20(日) 18:57:36
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江川が80球くらいで完投勝利したのはこの年だっけ?
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- 251
- 2010/06/20(日) 21:42:36
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夏の終わり頃に150球以上投げて、完投したのは覚えてるけど、
逆にそんなに少ない完投なんてのもあったのかなぁ。
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- 2010/06/21(月) 22:01:01
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年末の巨人軍の特番で
例の 「駒田、駒田、駒田ぁー」 の場面が流れて当の吉田アナは 「私は日本テレビの吉田ぁー」
これには吹いた
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- 2010/06/21(月) 22:22:54
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>>252
覚えてるw
シーズンダイジェストとかやってて、神番組だったなぁ、アレ。
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- 255
- 2010/09/05(日) 13:54:31
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西武の工藤等の活躍を快く思わない解説者が「あの連中、調子に乗って・・・」とか言っていたのを覚えている。
やっぱり巨人を倒したというのが、よっぽど気に入らなかったんだなと思った。
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- 256
- 2010/10/17(日) 18:06:16
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まあやっぱりこの年は星野中日の元年でマスコミへの露出度が前年迄とは比較にならない程
大きくなったのが印象的だったな。
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- 257
- 2010/10/17(日) 20:12:54
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>>255
あと、工藤に代表されるヤングレオは当時
「よくも悪しくもそれまでの世代と全く異なる今時の若者」
と見られていた。
だから、年配者である解説者には「近頃の若いもんは・・・」
的に苦々しく思う連中がいてもおかしくない。
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- 258
- 2010/10/17(日) 20:29:20
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>>257
そうそう、当時の工藤はまさに新人類世代の象徴とも言うべき存在だったな。
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- 259
- 2010/10/18(月) 15:32:38
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この年の西武は前年オフに永射、片平、田尾、太田と残ってたベテラン勢が東尾以外
全員一掃されて一気に若いチームになったのが印象的だった。ただ序盤は若いチーム故の
悪い面が露骨に出てたって感じでもたついてたが終盤は良い面である方の勢いが一気について
見事に優勝したな。
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- 260
- 2010/10/18(月) 19:20:40
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ヤクルトが過去5年で4度の最下位の現状から
予想外に躍進した年だったな。
伊東の14勝を筆頭に尾花や高野もそこそこ
荒木も現役で唯一の二桁勝利を挙げた年だった。
打者もホーナー現象を始めとして
新人王の荒井の他にも池山や広沢など若手の台頭で
将来に期待を持たせてくれた。
逆に若松が急に衰えた年でもあったな。
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- 261
- 2010/10/18(月) 19:28:18
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若松って(巨人戦しか見てないが)
代打で出てくると必ずヒットを打ったイメージがある。
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- 262
- 2010/10/18(月) 21:21:06
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調べてみたらこの年の若松は
69打数26安打で.377
打数は少ないとはいえこの打率はすごい。
打率だけで言ったらこの年がキャリアハイだったんだな。
翌年も3割軽く越えてるし。
衰えたというのは語弊がありました。
むしろこの年から代打に専念した感じか。
立浪や桧山みたいに。
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- 263
- 2010/10/18(月) 22:44:18
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>>241
一方投手陣では荘が牛島加入で先発に回り殊西武に対しては無類の強さだったからな。
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- 264
- 2010/10/21(木) 22:27:24
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>>259
石毛、秋山のコンバート。これにより田尾の移籍による外野の穴を埋めるどころかアップさせた。
空席になった遊撃には20歳の田辺を大抜擢。辻の骨折のアクシデントで危ぶまれた二塁も22歳の笘篠を起用。
序盤はその若さが出て5月7日までは借金5で首位・阪急と5ゲーム差の最下位だった。
この時点で清原.205、秋山は.198と振るわず。石毛も.239でノーアーチ。とにかく貧打だった。
しかし16日に四番を秋山に代えてから進撃開始。秋山は通算100号に勝利打点の新記録も樹立し打線も勢いを取り戻し
工藤の孤軍奮闘だった投手陣と噛み合いだした。球宴まで阪急に小差でピッタリとつけた。
そして後半戦は34勝14敗、圧倒的だった。若手でいえば大久保や白幡、そして外野の一角を担った安部も台頭した年だった。
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- 265
- 2010/10/22(金) 23:44:58
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この年の外国人投手(台湾人は除く)は
サンチェ キーオ アニマル だけですかね?
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- 266
- 2010/10/22(金) 23:46:53
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スマソ、「パセラ」ってのもいたね
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- 2010/10/22(金) 23:59:27
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>>265
まさに「燃えプロ」に出てくる選手だね
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- 268
- 2010/10/23(土) 05:57:16
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>>265
パセラを知っているのなら、中日のカスティーヨは知らんかな?
球場で放火未遂を起こしたことだけ覚えてるw
そうか、この頃は外人といえば殆ど打者だったっけな。
そのせいか打撃が弱いチームの主砲を任せられる優良外人が多かった気がする。
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- 269
- 2010/10/23(土) 16:40:17
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>>268
何と言ってもこの年のホーナーの日本球界に与えたインパクトは強烈だったからな。
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- 270
- 2010/10/23(土) 16:48:26
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本物の一流はブリブリ振り回すだけじゃなくコンパクトに鋭く振る。
凡打でも全力で走る。
豪快な一発以外でのインパクトが大きかったな。
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- 271
- 2010/10/23(土) 17:08:42
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>>269
その一方で、ホーナー来日と引き換えに首を切られたブロハード(だったっけ?)は可哀想だったな。
その理由が、“巨人の優勝を阻止するホームランを打ったから”と言うのがまたなんともorz
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- 272
- 2010/10/23(土) 17:27:05
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ブロハードやローマンは不遇だったな。
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- 273
- 2010/10/23(土) 17:37:48
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小松最多勝のために幾度か中継ぎ登板があったな
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- 274
- 2010/10/23(土) 17:58:12
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来年のタイガースになりそうなこの年
?田尾を獲得し、額面は昭和60年以上と言われたが、からっきし打てず
?キャンプが吉田就任時とは比べものにならない位緩い
?でも開幕5試合まではまあまあの試合をするが、当時一番勢いあった星野中日にやられてから落ちる
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- 275
- 2010/10/23(土) 18:01:02
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?打撃で勝ってきたタイガースが、中日に20安打と打ち負け、それ以降見事に打てなくなる
?その後7連敗
?クリーンアップをいじったり、打順入れ替えも全く効果なし
?挙げ句、阪神のお株だったホームラン攻勢を本拠地でやられてしまう
(落合 宇野 中尾)
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- 2010/10/23(土) 18:04:56
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?キーオだけの投手陣で、仲田や中田、池田や伊藤も全然勝てず遠山はジンクスにはまり、中西や山本や福間もダメ。
?唯一明るい話題は、後の代打の神様八木裕の初打席ホームランと和田。
10 後半最初の巨人だけに昭和60年を見せ、9月に多少爆発するも遅すぎ
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- 2010/10/23(土) 18:07:19
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11 中日やヤクルトや巨人に完璧に打ち負け、ヤクルトにはボブホーナー旋風の手伝いをした
12 後半北村 大野 渡真利の若手起用するも、余り意味がなく吉田監督解任
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- 278
- 2010/10/23(土) 18:54:33
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>>271
やっぱり松園オーナーがホーナー獲得した本音はそこにあったのか…
そういや当時やくみつるの4コマで最後のオチの部分の松園オーナーの台詞に
「まあ、3億円で巨人様の怒りが収まるなら安いもんじゃて」なんてのがあったが、
絶対本当に誰かに言ってたんだろうな…。
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- 280
- 2010/10/23(土) 19:06:29
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>>274-277
まさかあの年が、その後の長い長い阪神暗黒時代の幕開けになろうとは、
トラキチのみならず誰も想像すら出来なかっただろうからな。
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- 2010/10/23(土) 19:10:34
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>>279
十分根拠はあるんでは?なんせ松園オーナーは日頃から自分が巨人ファンだ、て
堂々と公言してたぐらいだからな。
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- 282
- 2010/10/23(土) 19:24:17
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>>281
巨人ファンだということは公言しているらしいね
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- 283
- 2010/10/23(土) 20:30:33
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長崎が後楽園でフライを2度続けて落として引退したのってこの年だっけか。
S60メンバーが恐ろしく劣化したのだけはよく分かった。
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- 284
- 2010/10/23(土) 21:16:21
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田尾の逆転満塁サヨナラホームラン
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- 286
- 2010/10/27(水) 02:38:58
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11試合ながら.379、2本塁打で32打席中わずか4三振。外国人枠とはいえよくそこまで打ってる選手を二軍に落とせたなと思う。
しかし先発出場はうち6試合、途中出場も多かったようだ。
今みたいな「2年目で化けるケースもあるから」と時代だったら・・・。他球団ででもフルシーズン働く彼を見てみたかった。
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- 287
- 2010/11/07(日) 09:36:15
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http://bbs18.meiwasuisan.com/bbs/baseball/img/12888422590026.jpg
助っ人オールスター
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- 288
- 2010/11/07(日) 10:49:23
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でもこの年のヤクルト打線は、かなり迫力はあった
1中 栗山
2二 水谷
3左 杉浦
4三 ホーナー
5一 レオン
6右 広沢
7遊 池山
8補 八重樫
一次の巨人並みやね
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- 289
- 2010/11/07(日) 11:56:09
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>>288 センターは1987の新人王荒井で二塁はバント王の渋井だろ。水谷も栗山もその年活躍してない
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- 2010/11/29(月) 01:40:30
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水谷に関しては一軍出場すら一度もない。
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- 291
- 2010/12/28(火) 16:29:27
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燃えろプロ野球にはやられた
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- 292
- 2010/12/28(火) 19:16:16
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http://www.youtube.com/watch?v=75B_1Ey5lhU#t=13m45s
入間航友会会長 荻野光男氏の講演での証言
ーーーーーーーーーー以下文章起こしーーーーーーーーーーーーー
みなさんご存知でしたか?
今の政権の中には、みんな韓国寄り、特に、その帰化しちゃってますからね、わかんないんだね
今、えー今、ここにあるのだけ見てもだね、えー
鳩山由紀夫のお母さんは、韓国人なんです、でー、えー鳩山由紀夫と邦夫さんは、全然、ぜんぜん違う顔してるでしょ、兄弟とは思えないでしょ
知ってますか?これは、えー、(聞き取れない)の父、(なんとか)いちろうが、石橋やすこと結婚前に
韓国人に生ませた子なんです。
これを認知して、長男として入籍したんです。
なお、鳩山由紀夫(ごにょごにょ)さちも(ごにょごにょ)韓国人
だから、もうほんとにね、えー、韓国系なんです。
それから、小沢一郎さんの実父も、実父の(聞き取れない)って人は韓国の済州島出身。
済州島にお墓があります。
それから、菅直人。実母が韓国人。済州島出身。
で、えー、福島みずほ。これは昭和61年の2月(15日?聞き取れない)に日本に帰化してますが、一般の人は福島(みおずほ?聞き取れない)と聞いたら日本人だと思っちゃいますよね?
これが、えー、こんど、うーん、この、菅総理が、また、また一緒にやらないか、これに乗っちゃって、まー、これも、馬鹿な話で、その為に、菅総理もやりたい事ができなくなってる、ブレーキになってる。
土井たかこも、33年の(10月25日?聞き取りずらい)に帰化しております。
それから、あと、レンホウは台湾人。
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- 2010/12/28(火) 19:37:26
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セリーグの三強三弱っぷりが酷かった
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- 2010/12/29(水) 05:30:05
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>>291
燃えプロはひどかったな。
キング・オブ・糞ゲーとはこのこと。
このシーズンは阪神が前半戦終了時点で19勝54敗。
朝日新聞に「どうした阪神 前半戦20勝届かず」
という見出しが載っていたのが忘れられない。
後半戦開始後初の巨人×広島戦
(確か首位攻防戦だったかな?)。
9回表まで巨人が0-1で負けていたが、
その裏クロマティの逆転サヨナラHRで巨人が勝った。
巨人はオールスター明けからずっと不振だった。
それだけに王監督も大喜び。
「さぁ、今日から新たなスタートだ」
といったようなコメントを残していた。
しかし、次の広島戦は1-9で完敗。
これには笑わせてもらいました。
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- 2010/12/29(水) 05:48:40
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この年の巨人は、松本匡の衰えがひどかった。
大洋×巨人戦で新浦が投げていた試合のことだが、
大洋の打者が打った何でもないヒットを松本が後逸。
日本全国のお茶の間に醜態を晒してしまった。
その試合は新浦が完封した(スコアは7-0)。
この試合はよく覚えている。
松本は確かこの年限りで引退したはず
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- ↑
- 2010/12/29(水) 06:39:12
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キモい親父の懐古文
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- 2010/12/29(水) 07:38:06
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それ高橋雅(晩年は眞)のヒットじゃなかったっけ?
それがランニングホームランになってしまったような記憶がある。
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- 2010/12/29(水) 19:19:44
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>>296
と、低脳白痴がわめいております。
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- 299
- 2010/12/29(水) 19:30:38
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阪急が9月中盤から大失速して、西武の優勝をアシスト。
終わってみれば西武に9ゲーム差をつけられていた。
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- 2011/01/01(土) 04:31:30
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「折れた柱」
この年優勝した西武が初めて首位に立ったのは8月7日。開幕して80試合を消化していた。
それまで首位を守っていたのは上田利治の下で3年ぶり優勝を目指す阪急で開幕戦を除き2試合目から一度も転落せずにいたものだった。
4月11勝5敗、5月9勝8敗とスタートダッシュに成功した。前年松永浩美や簑田浩二も打つことがあった四番に石嶺和彦が座り、
前年の肝炎の影響は常に心配されていたが打線を引っ張った。負ければ日本ハムと入れ替わり初の2位転落という6月13日には
2年目石井宏が初先発初勝利、下旬には2位西武に連勝しピンチを逃れた。投手では前年1勝の山沖之彦が開幕から快調、
球宴までに9勝を挙げた。星野伸之も8勝(5敗)した。
首位を明け渡したのは、救援失敗を繰り返していたアニマルが藤井寺で満塁被弾した前述の8月7日。
離れまいと食らいつき8月下旬と9月頭の西武戦に共にカード勝ち越し。9月10日には一度首位奪回する力を見せた。
今ひとつ調子の上がらない佐藤義則を抑えに回し、山沖が9月中2日、中3日を厭わず完投勝利。星野はこの年全球団相手に完封を記録した。
しかし西武とは先発陣を中心とした投手力、すなわち積んでいた燃料に差があった。
3差で迎えた10月3、4日に連敗し西武にM5が点灯、阪急は力尽きた。競り負けた原因は強い阪急を支えていた3本柱の不振が大きかった。
山田久志、佐藤、今井雄太郎は30歳をとうに過ぎ山田は39歳、今井は38歳になっていた。優勝した84年から86年まで3本柱の合計勝利数が、
84年52勝、85年51勝、86年35勝。それがこの年はわずか18勝に終わった。4月は今井、6月は佐藤と山田が二軍落ちで一時戦線離脱。
冒頭で挙げた首位陥落の8月7日、この日も山田久志が2度目の二軍落ちをした日であった。高齢化の柱が折れた時期だったか。
山田に関しては開幕投手の件もあった。オープン戦不調だったことや、佐藤が前年防御率のタイトルを獲得した事が影響し
13年連続の開幕投手を逃した。上田と山田が大人同士の短い会話で決まったと表向きには流れた。しかし開幕投手を生きがいにしていた
山田の心理に微妙に影響した。山田の成績はもちろん、それにより萎縮した佐藤の成績も落ちた。上田は、
「エース交代の時期にさしかかっていたが、慎重にすべきだった」と話した。それまで新旧交代を他の監督に比べ割合スムーズに行ってきた
上田もこの時ばかりは反省の言葉。12年監督が監督業の難しさを改めて知った年であった。
今年もよろしくお願いします。
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