1987年のプロ野球を語ろう [sc](★0)
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- 214
- 2010/05/16(日) 19:41:51
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>>213
その2試合以外思い出せないのだがw
広島は北別府の不振。津田が結構リリーフ失敗。
長富の失速。金石の故障等結構前年より戦力ダウンの要素は多かった。
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- 215
- 2010/05/16(日) 19:54:12
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て、言うか浩二の引退が大きい
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- 216
- 2010/05/16(日) 22:48:55
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>>214
8月の終わりか9月の始めの市民球場での巨人戦(二連戦の二試合目だったと思う)
先発の川口の好投で1−0で9回表まで来るも
原を迎えたところで津田にスイッチ、
そうしたら津田が打ち込まれて逆転されて
結局引き分けた(その裏慶彦が同点HRを打った)試合もあった。
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- 217
- 2010/05/17(月) 05:36:00
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>>216
広島にとっては悔しいドローだったのかも知れんが、
前日にも逆転サヨナラ負けをした巨人ファンからすると、
終盤の失点で2連戦1敗1分けは前年の悪夢がよぎった。
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- 218
- 2010/05/17(月) 21:24:01
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9月20・21・22の市民球場CG三連戦
初戦が槙原完投勝利
2戦目が江川小早川のアレ
3戦目も広島の勝利(内容忘れた)で広島勝ち越し
まだ一波乱ある気がした。
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- 219
- 2010/05/17(月) 21:52:41
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そこからの巨人は加速して、
5連勝●4連勝●の翌日が移動日で優勝決定。
最終的には中日とは8ゲーム差、広島とは11.5ゲーム差なんだけど、
>>218の辺りまでは5ゲーム差くらいで本当にハラハラしていた。
結果だけを見ると巨人が独走の様に見えるけど、
この年の巨人のライバルは2位の中日というよりも、ずっと広島だった印象。
手元の縮刷版によると三連戦終了時点(9月21日です)から巨人は残り試合を12勝4敗、
広島は9勝14敗だったそうで、そのお陰で最終ゲーム差が開いちゃったんですね。
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- 220
- 2010/05/18(火) 01:19:42
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>>210
2003横浜、2005楽天並に酷いシーズンを送ってた可能性は高いと思う。
あと、1995中日も中山抜きで、2007ヤクもグライ抜きで臨んでたら確実にその仲間入りしてた。
どちらも獲得するには相当苦労したんだよね。
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- 221
- 2010/05/18(火) 10:30:10
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この年(と翌年)の広島はチームに活力が無かったね。
なんか老成してしまっているというか、
そこそこにはやるがそれ以上はないというか。
その象徴が山崎隆造な気がする。
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- 222
- 2010/05/18(火) 16:49:12
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>>61
俗に言われているのは首脳陣の不協和音だが。
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- 223
- 2010/05/18(火) 22:42:26
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>>221
大御所の2人が相次いで抜けてしまったからな…。
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- 224
- 2010/05/19(水) 01:23:53
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この年の広島が勝てなかったのは主にこちら
1.高橋慶彦の開幕2週間出場停止
2.山本浩二の引退による穴を埋められず
3.エース・北別府学を筆頭に金石、長富といった主力投手の不振
4.球宴を挟み対大洋戦9連敗
5.4を含む夏場の負け込み
つづきはまた後日。
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- 225
- 2010/05/19(水) 22:31:14
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というか、この時期の広島って若い野手がほとんど出てこなかった。
強いて言えば片岡ぐらいか。
阿南監督のレギュラーを固定する方針も影響していたんだと思うが
(翌年など山崎や長嶋があの低打率で余裕で規定打席到達だし)。
それが活力が無いというのにつながったのではないだろうか。
活きのいい若手が出てきて予想していなかった活躍をするってのが無いわけだから。
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- 226
- 2010/05/20(木) 03:40:33
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1.高橋慶彦の開幕2週間出場停止
地元で行われる「カープ激励の夕べ」が毎年開幕直前(この年は2日前)に行われることに不満を抱いていた高橋が
球団幹部に日程の変更を求めていたところオーナー代行に怒鳴られたため行事を欠席。造反として事態を重くみた球団が
開幕2週間の謹慎を課した有名な事件。阿南監督の説得も振り切り高橋も開幕は出ないと言った。
この年30歳を迎え、山本浩二の引退でチームリーダーと主軸を担う予定だった高橋は張り切っていて前からこれに対し
球団に意見していた。他の選手も行事には反対していたがオーナー代行の爆発で口をつぐみ何事も無かったように開幕から
プレイした事が高橋には何とも寂しかった。
高橋不在の間チームは6勝3敗3分けとまずまずのスタートができた。
しかし高橋が年間を通した三番打者としての中軸の働きができず打撃成績のどの部門でも前年より落とす結果となった。
さらにはチーム内で浮いた存在になった事でチーム間で微妙な空気が流れ士気に影響した事は否めなかった。
元々相手が誰でも物を言う高橋がこの事件でこの年のオフ内定、年俸まで決まっていたという西武の若手・田辺徳雄との
遊撃手同士の交換話を皮切りに常にトレード要員として球団が準備するきっかけになってしまった。
オーナー代行は85年春にも高橋の恩師で前監督の古葉竹識との確執があった。代行とすればその教え子も可愛くなくなったということか。
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- 227
- 2010/05/20(木) 22:10:33
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うn
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- 228
- 2010/05/22(土) 02:54:49
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2.山本浩二の引退による穴を埋められず
ミスター赤ヘルの不在をどうカバーするかはこの年の広島の大きなポイントであった。
前年純国産で戦い通した球団でなくてもまず手っ取り早いところで思いつくのが外国人の補強。
リチャード・ランス、ランディ・ジョンソンの二人を獲得したが特に期待されたのが86年3Aで30発100打点の長打が売りのランスだった。
ランスは39本塁打、83打点。前年山本浩二の記録した27本塁打78打点は越えたがリーグ最下位の打率.218
6月以降は下位打線で出場するなど安定性を欠いた。
しかしその6月以降の四番打者・小早川毅彦が24本塁打、93打点と力を発揮、最多勝利打点(16)にも輝き穴はカバーされているかに見えた。
さらには前年よりチーム打率も本塁打も得点も上がったが、ここ一番での一本が出ずに泣く試合が多かった。
小早川の後続を打つ長嶋清幸、衣笠祥雄の“勝負弱さ”が目立ってしまった。
山本が引退した事で長嶋や高橋慶彦らの四番の前後が気負いすぎた面もあるが、四番の小早川から長嶋、ランスなど左の続く新打線が
中日・米村明、ヤクルト・矢野和哉、大洋・新浦壽夫らの左腕に苦しめられたのも一因だった事も否めない。
右の大砲、相手に与える一本のダメージ、存在感の大きさなどあらゆる面での穴を痛感したシーズンだった。
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- 229
- 2010/05/22(土) 07:25:25
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山本にしろ衣笠にしろ、あと数年は2ケタHR打てそうだったよね。
特に山本は翌年の衣笠ラストイヤーよりも打てそうな気がした。
衣笠は打率が低いと使い勝手が悪かったかも知れんけど。
そういえばジョンソンっていたなあ、
思い返すと300勝左腕と同じ名前だったのね。
小早川はHR本数はそれ程でもなかった印象だけど、93打点は凄い。
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- 230
- 2010/05/22(土) 18:45:25
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3.エース・北別府学を筆頭に金石、長冨といった主力投手の不振
投手王国・広島にとって痛かったのは計算していた投手が思うように活躍出来なかった事ではないだろうか。
前年投手四冠を獲得した沢村賞エース・北別府学は開幕から打ち込まれ3連敗、初勝利は5月24日でチーム32試合目。
開幕から一ヶ月半も経った時だった。北別府は7月に一時白星を先行させたものの結局この年は10年連続二桁勝利は達成したが
大事な局面であった夏の3連敗もあってリーグワースト2位の14敗を記録した。
8年目の前年、初の二桁を挙げた金石昭人は怪我に泣かされ続けた一年。梅雨時から戦線離脱し戻ってからも
阿南監督は登板間隔を空けながらのデリケートな起用に終始した。打線の援護に恵まれない試合も多く5勝止まりだった。
新人王・長冨浩志も前年のようにスイスイとは勝てず“こんなはずでは”の連続。無理がたたったのか9月上旬ついに故障し
右ひじ痛で登録抹消された。金石と同様5勝に終わった。
そうなると開幕7連勝の好スタートを切った川口和久にかかる負担も大きくなる。
川口も息切れし球宴明けの後半戦は4勝8敗。重圧はやはりかかっていた。夏場は年間安定していた大野豊でしか勝てない時期もあった。
結局打線にも言えるがニューヒーローが出現しにくい起用法には問題はなかったか。
前年は金石が、長冨がと出てきて勝てた。しかし阿南監督はこの年も前年と全く同じ布陣で年間を戦い抜いてしまった。
新監督であった前年も前任の古葉体制とほぼ同じコーチ陣で臨んでいたようにコーチ、選手を信頼していると評価された采配は
翌年に“冒険をしない消極的な凝り固まった采配”という記事に代わってチラホラ出始めた。
その頃パシフィックでは森西武が“育てながら勝つ”を遂行し続け連覇を成し遂げた。
戦力、リーグの違いはあれど「勝ち続けるにはこうするんだよ」という声が埼玉から約650キロを越えて広島に聞こえて来るようだった。
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- 231
- 2010/05/22(土) 20:14:07
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その投手陣不振の話を読むと、
前半で41勝もしていたのが今一つ信じられない。
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- 232
- 2010/05/23(日) 02:26:02
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4.球宴を挟み対大洋戦9連敗
「わざと負けてるんじゃないかと言われたりもしたが、これで少しは分かってもらえるんじゃないですか」
8月23日、2年目松本豊が1−0で広島を完封。3タテで対広島6連勝した大洋監督・古葉竹識は笑顔を浮かべながら話した。
前半戦は開幕戦こそ“慶彦ショック”に揺れる古巣に勝ったものの翌日の試合から対広島11連敗。
古葉には寺岡孝ら3人のコーチ陣と名スカウト木庭教を広島から引き連れた負い目も或いは采配に出たのかもしれない。
しかしエース・遠藤一彦がアキレス腱の怪我から戻り、広島打線の夏バテも手伝い前述の3タテを含む合計9連勝。結局最終的には13勝13敗。
冒頭の言葉は故意に負けた事への否定だけでなく気心の知れた人との組閣でないと指揮官として存分に力を発揮できないという事を分かってもらいたい意味もあったのか。
この年広島は捕手で自由契約の堀場英孝、バッテリーコーチの福嶋久晃の二人も大洋に移籍している。
寺岡の移籍なども含めあらゆるデータが流出した影響もある。しかし、そうでなかったとしても広島が疑心暗鬼になり過ぎた事が
一番の原因となったのかも知れない。もちろん真実は第三者が知る由もない。
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- 233
- 2010/05/23(日) 18:47:39
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それでいて大洋は巨人に気前良く負けたからなw
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- 234
- 2010/05/23(日) 19:59:06
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>>229
衣笠はねえよ
山本は600本行けたんじゃねえかな。
プライド捨てて、パに移籍してDHでやれば野村超えもありえた。
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- 235
- 2010/05/23(日) 20:13:17
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パは当時速球派の若手投手が多かったから無理
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- 236
- 2010/05/24(月) 01:47:30
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この年のランスの打率も酷いが、前年も衣笠が.200前後の打率で連続試合出場もさせなきゃいけなかったのによく優勝できたもんだ。
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- 237
- 2010/05/24(月) 22:45:48
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>>236
つ投手力
関係ないが、小早川と岡田外相の顔と煮え切らない性格が似ている。
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- 238
- 2010/05/25(火) 02:14:57
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5.夏場以降の負け込み
前半戦は巨人の好発進があり前年のように序盤から首位快走とはいかなかったが、自慢の投手力で安定した戦いを見せた。
先発では前述の川口和久が6月6日まで7連勝、球宴までに大野豊と共に8勝を挙げ先発陣を引っ張った。
救援陣もこの年は川端順が大活躍、白武佳久も中継ぎ専任に回り厚みを増した中継ぎ陣が抑え・津田恒実に繋いだ。
川端は連投もさることながら複数イニングを投げる事もしばしば、パームボールを武器に前半で6勝無傷の奮闘。
最終的には規定投球回に達し「最高勝率」のタイトルを獲得するほどだった。川端、白武、津田の27歳トリオがブルペンを支えた。
打線も6月に四番・小早川、七番・ランスのオーダーにしてから得点力が上がり4・5月では4.4だった平均得点も6・7月では5.3に増えた。
6月6日にはついに首位浮上、13日には衣笠祥雄の連続試合世界記録(当時)フィーバーもあってその後も3度首位を奪い返した。
それだから前年7.5差逆転Vの実績からいって球宴前の4差(2位)は大きいものではないとみられていた。
しかし8月1日から始まった後半戦では苦しんだ。
8月は22日大洋戦でついに川端が打たれ初黒星。Bクラス3チームが絡んだ5連敗が響き初の月間負け越しを喫した。
首位・巨人への挑戦権も次第に若手の活躍で1.5差まで迫った星野中日に移った感があった。
たしかに8、9月で4つの負け越しは痛かったが、それでも対巨人では5勝3敗2分けと健闘し挑戦権は取り返した。
8月津田のサヨナラ被弾の翌日は大野の完投で9−1の完勝。
8月末の2連戦では1戦目は広田から高橋慶彦のサヨナラ打、2戦目も鹿取からまたも高橋の同点弾で引分けに持ち込み1勝1分け。
9月も桑田に投げ勝った北別府汚名返上の試合や小早川の江川撃ちと内容のある勝ち方も多かった。
それよりもクロマティの劇的弾やことごとく立ちはだかった槙原寛己の壁が中央マスコミの煽りも手伝って飲まれてしまったフシはある。
通算でも巨人戦は1つ勝ち越しで終了。だが反面中日、ヤクルト戦の負け越しと大洋戦の五分。
カモにした大洋、中日を含め全球団に勝ち越した前年との大きな違いだった。そして皮肉にも繋いでいた望みを絶ったのも9月末に3タテを浴びせた古葉大洋だった。
阿南監督は「来季は選手個々の自覚を促したい」と言ったが、その言葉から良きにつけ悪しきにつけ徐々にベンチ主導の野球で無くなる気がした。
(「6.補足」にて前後半別の投手勝敗成績載せます)
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- 239
- 2010/05/25(火) 13:37:01
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6.補足(主力投手前後半戦別勝敗)
大野 前半8勝3敗→後半5勝2敗
川口 前半8勝3敗→後半4勝8敗
北別府 前半6勝5敗→後半4勝9敗
長冨 前半5勝4敗→後半0勝2敗
金石 前半1勝2敗→後半4勝3敗
川端 前半6勝0敗→後半4勝2敗
さらに打線の平均得点は
4・5月=4.4 6・7月=5.3 8・9月=4.0
(了)
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- 240
- 2010/06/06(日) 22:58:42
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亀レスだけど、>>188に同意。
まあ、ゴミウリが血も涙も無い球団だって事が改めて証明されたけどなw
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- 241
- 2010/06/16(水) 12:57:11
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ロッテ打線が悲惨だったな。
落合が抜けて、変わりが古川にしたけど、開幕早々骨折で離脱。
そのあとは中距離アベレージヒッターの高沢。
リーも衰えてきた。
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- 242
- 2010/06/16(水) 13:58:46
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高沢って今の内川にタイプが似てるね。
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- 243
- 2010/06/16(水) 16:24:06
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個人的な思い出を言わせてもらうと、桑田のプロ入り初完封を見逃した。
ラストイヤーの後楽園で相手は広島。初回、高橋慶彦の何でもないレフトフライを、松本がまさかの落球!
これをキッカケに広島は1点を先制したものの、完投した桑田の失点はこの1点のみ。松本の落球さえ無ければ・・・。
でも、鴻野淳基、篠塚、クロマティ、中畑の連打で逆転したので、面白かったな。
そういえば、松本は、この後にも中日戦で、まさかの落球をやらかしたよね。
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- 244
- 2010/06/16(水) 17:34:32
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高橋雅のただのシングルを後逸してランニングHRにもしなかったっけ?>松本
9番でスタメンの日も結構あったし、もう限界だったんだろうね。
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- 245
- 2010/06/16(水) 17:51:11
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>>244 高橋雅って、大洋の?そのランニングホームランは記憶に無いなぁ。
さっきは、落球の件をボロクソに書き込んだけど、5月か6月あたりまでは
首位打者を狙えそうな打率だったよね。
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- 246
- 2010/06/16(水) 21:04:21
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>>242
高沢は右の好打者にしては珍しい引っ張り専門タイプ
似てるのは坂本だと思う
数字的にも
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- 247
- 2010/06/16(水) 23:07:40
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この年のロッテの外人打者って誰だったかな?と思って、
よく>>241を見たらリーがまだいたんだな。
どうやら最終年だったらしいが、前年よりも急速に衰えてたね。
(ていうか、まるで記憶にないw)
高沢が4番とかだったもんなぁ。
衣笠が連続試合世界記録を作ったのが、この年の今頃だったよね。
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- 248
- 2010/06/18(金) 19:28:41
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江川引退!ってドーン!とでっかい記事の下にちっちゃく
松本も引退
っていうのを覚えてる。
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- 249
- 2010/06/19(土) 12:15:00
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>>248
最近、江藤と緒方でそれがあった
「江藤、引退!!!! 緒方も」
同時期に活躍した選手なのにそこまで扱いが違うか・・・と悲しくなった
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- 250
- 2010/06/20(日) 18:57:36
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江川が80球くらいで完投勝利したのはこの年だっけ?
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- 251
- 2010/06/20(日) 21:42:36
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夏の終わり頃に150球以上投げて、完投したのは覚えてるけど、
逆にそんなに少ない完投なんてのもあったのかなぁ。
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- 252
- 2010/06/21(月) 22:01:01
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年末の巨人軍の特番で
例の 「駒田、駒田、駒田ぁー」 の場面が流れて当の吉田アナは 「私は日本テレビの吉田ぁー」
これには吹いた
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- 253
- 2010/06/21(月) 22:22:54
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>>252
覚えてるw
シーズンダイジェストとかやってて、神番組だったなぁ、アレ。
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- 255
- 2010/09/05(日) 13:54:31
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西武の工藤等の活躍を快く思わない解説者が「あの連中、調子に乗って・・・」とか言っていたのを覚えている。
やっぱり巨人を倒したというのが、よっぽど気に入らなかったんだなと思った。
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- 256
- 2010/10/17(日) 18:06:16
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まあやっぱりこの年は星野中日の元年でマスコミへの露出度が前年迄とは比較にならない程
大きくなったのが印象的だったな。
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- 257
- 2010/10/17(日) 20:12:54
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>>255
あと、工藤に代表されるヤングレオは当時
「よくも悪しくもそれまでの世代と全く異なる今時の若者」
と見られていた。
だから、年配者である解説者には「近頃の若いもんは・・・」
的に苦々しく思う連中がいてもおかしくない。
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- 258
- 2010/10/17(日) 20:29:20
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>>257
そうそう、当時の工藤はまさに新人類世代の象徴とも言うべき存在だったな。
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- 259
- 2010/10/18(月) 15:32:38
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この年の西武は前年オフに永射、片平、田尾、太田と残ってたベテラン勢が東尾以外
全員一掃されて一気に若いチームになったのが印象的だった。ただ序盤は若いチーム故の
悪い面が露骨に出てたって感じでもたついてたが終盤は良い面である方の勢いが一気について
見事に優勝したな。
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- 260
- 2010/10/18(月) 19:20:40
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ヤクルトが過去5年で4度の最下位の現状から
予想外に躍進した年だったな。
伊東の14勝を筆頭に尾花や高野もそこそこ
荒木も現役で唯一の二桁勝利を挙げた年だった。
打者もホーナー現象を始めとして
新人王の荒井の他にも池山や広沢など若手の台頭で
将来に期待を持たせてくれた。
逆に若松が急に衰えた年でもあったな。
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- 261
- 2010/10/18(月) 19:28:18
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若松って(巨人戦しか見てないが)
代打で出てくると必ずヒットを打ったイメージがある。
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- 262
- 2010/10/18(月) 21:21:06
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調べてみたらこの年の若松は
69打数26安打で.377
打数は少ないとはいえこの打率はすごい。
打率だけで言ったらこの年がキャリアハイだったんだな。
翌年も3割軽く越えてるし。
衰えたというのは語弊がありました。
むしろこの年から代打に専念した感じか。
立浪や桧山みたいに。
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- 263
- 2010/10/18(月) 22:44:18
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>>241
一方投手陣では荘が牛島加入で先発に回り殊西武に対しては無類の強さだったからな。
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- 264
- 2010/10/21(木) 22:27:24
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>>259
石毛、秋山のコンバート。これにより田尾の移籍による外野の穴を埋めるどころかアップさせた。
空席になった遊撃には20歳の田辺を大抜擢。辻の骨折のアクシデントで危ぶまれた二塁も22歳の笘篠を起用。
序盤はその若さが出て5月7日までは借金5で首位・阪急と5ゲーム差の最下位だった。
この時点で清原.205、秋山は.198と振るわず。石毛も.239でノーアーチ。とにかく貧打だった。
しかし16日に四番を秋山に代えてから進撃開始。秋山は通算100号に勝利打点の新記録も樹立し打線も勢いを取り戻し
工藤の孤軍奮闘だった投手陣と噛み合いだした。球宴まで阪急に小差でピッタリとつけた。
そして後半戦は34勝14敗、圧倒的だった。若手でいえば大久保や白幡、そして外野の一角を担った安部も台頭した年だった。
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