1987年のプロ野球を語ろう [sc](★0)
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- 182
- 2010/02/08(月) 13:16:15
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>>180
あの年の広島の投手力はリーグ1だった
先発に北別府、大野、川口、長富、金石
中継ぎに川端、白武
ワンポイントに清川、山本
抑えに津田
打線は慶彦、正田、山崎が足でかき回せるし、小早川はなかなかチャンスに強く、忘れた頃にランスの一発
工藤に足と粘りのない阪急と比喩された巨人よりかは期待できたと思うがね
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- 183
- 2010/02/08(月) 13:27:30
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この年の日本シリーズでやられてから巨人の西武コンプレックスみたいなものが顕著になった。
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- 184
- 2010/02/15(月) 15:42:46
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近藤ノーヒットノーラン達成
後楽園球場ラスト
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- 185
- 2010/02/15(月) 16:33:02
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近藤は次の巨人戦(後楽園)で桑田に打たれて負けたんだったかな?
その間に阪神戦でまたあわやノーノーみたいなピッチングをしてた、
ってのはつい最近知った。
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- 186
- 2010/02/16(火) 11:42:17
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>>185
9月1日の試合で山倉桑田のアベックHRでKO
それが初黒星だったかどうかまでは覚えてないなぁ。
桑田は久々の勝利投手目前だったが、中尾の打球を
キンタマに喰らってKOされたw
当時のやくみつるの4コマで「長い巨人と阪神の歴史で、
阪神が1-0で勝っているものはなに?」という問題があって、
答えが中日近藤から打ったヒットの数ってのがあった。
※8月下旬現在、巨人戦でノーノー 阪神戦で1安打完封
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- 187
- 2010/02/16(火) 22:16:04
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ムッシュが王に対してえばってたなw
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- 188
- 2010/02/18(木) 08:48:18
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加藤秀司の2000本安打達成→名球界入りは阪急ファンでは
なかったけど、妙に感慨深いものがあったなあ。
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- 189
- 2010/02/20(土) 10:26:33
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吉田監督の長期観点の無さを象徴した年
元々は土台作りと思って守りを重視してたのに、打撃がたまたまうまくはまった為、打撃重視に変わって落ちた。
後は、すぐ独裁政治やろうとして失敗
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- 190
- 2010/02/20(土) 10:31:41
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ただ清原クジ外しは痛かった
もし清原阪神にいたら
1遊 真弓
2中 大野
3右 バース
4一 清原
5二 岡田
6左 田尾
7三 掛布
8補 木戸
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- 191
- 2010/02/20(土) 13:13:37
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俺が開幕前に夢見ていた阪神のダイナマイト打線
1 真弓
2 田尾
3 バース
4 掛布
5 岡田
6 柏原
7 平田
8 木戸
下位は弱いが、1−6まではオールスターレベル
これにキーオという強力助っ人が加入するのだから、
どうみても優勝しかないと思っていた
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- 192
- 2010/02/20(土) 17:36:01
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阪神は特に前半が酷かったけど、
開幕前は優勝候補の一角ぐらいには上がってたんだっけ?
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- 193
- 2010/02/21(日) 10:57:37
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名前だけなら阪神史上でも最高レベルだった87
しかし
掛布?手首骨折の後遺症
岡田?腰かばい、スイングが鈍くなる
バース?元々から腰が悪い
確かに
弘田?元ロッテ主力
長崎?元大洋首位打者
田尾?元中日3割バッター
柏原?元日ハム4番
佐野?81年勝利打点王
全てロートル化
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- 194
- 2010/02/21(日) 11:04:33
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後地味に痛かったのが、吉竹の放出に、ムードメーカー川藤の引退。
平気の平左でベンチで監督批判してた川藤がいなくなり、ベンチが葬式並みに暗くなった。
キーオ取ったのは間違いないではなかったが、神様バースに頼りすぎて、野手の外人取らなかったのも痛かった。
ホーナー現象の87
てことは、取れる可能性あった
獲得すれば
1中 真弓
2遊 和田
3右 バース
4一 ホーナー
5ニ 岡田
6左 田尾
7三 掛布
8補 木戸
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- 195
- 2010/02/21(日) 22:25:14
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ホーナー取れる可能性もあった。
1中 真弓
2遊 和田
3右 バース
4一 ホーナー
5二 岡田
6左 中野
7三 八木
8補 木戸
掛布を代打の切り札に回す
田尾 永尾 佐野 長崎
で代走
大野 北村
こうすれば、ボロボロにはならんかったと思う
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- 196
- 2010/02/22(月) 08:59:22
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>>194
中 真弓
右 バース
にするぐらいなら
三 ホーナーでいいじゃん。
キーオのいない投手陣は大丈夫か?
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- 197
- 2010/02/24(水) 12:15:40
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小林繁は遠山、仲田、猪俣の左腕トリオをかなり評価していたし
中西、山本、福間のリリーフ陣も実績申し分無しと評価していた。
しかしあっさり崩壊した。
理由はキャンプから緊張感がまったく無かったらしい。
西本幸雄がキャンプ訪問の際、苦言を呈していたが
ベテランが怪我を恐れて(実際はサボり)まったく動いていなかったし、
それにつられて若手もダラダラ練習していたらしい。
暗黒時代になったのも至極当然。
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- 198
- 2010/02/24(水) 23:20:00
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コーチが選手に「今夜ちょっと特打ちしようか」
と声をかけたが、夜間練習場に行くと誰もいない。
その頃、選手たちはゴルフの打ちっぱなしにいたという。
翌日「いやあ夜に”特打”っていうからてっきり・・」と言ったという
話もあったなあ。
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- 199
- 2010/02/25(木) 21:14:47
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阪神はこの年「江口孝義 佐賀工業高」を1位指名内定してたんだが、江口は
甲子園の旅館で監督にバットで突かれてノイローゼ状態になってNTT九州入りしたんだよ。
社会人2年目の江口はとにかく速かった。古田も驚いてたよ。
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- 200
- 2010/02/28(日) 21:41:11
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この年のベストオーダーは
1右新井
2二篠塚
3中秋山
4一ブーマー
5DHバース
6左ポンセ
7三原
8遊宇野
9捕山倉
投桑田
かな
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- 201
- 2010/03/26(金) 13:07:47
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この年の阪神は、1985年日本一チームとあまり顔ぶれ変わって無いんだよね。
なんでこんなに弱かったのかは不思議。そして、それは翌年以降も続く。
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- 202
- 2010/04/09(金) 01:44:58
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この年の阪神はといえば吉竹⇔田尾のトレードに金銭でベテラン宮本を獲得したぐらい。
しかしこの田尾獲得、当初大野久とのトレードを画策した阪神が西武に押し切られる形で
実力者の吉竹に左腕中継ぎ前田まで付けてしまう。阪神はトレードからいきなり拙さが出ていた。
おまけに掛布飲酒運転にバースのスピード違反。
シーズンに入っても4月末から8連敗、5月にもホーナー・ショックなどもあって8連敗。
掛布の度重なる欠場が元で5月下旬には「並木コーチ発言問題」
6月には「竹之内事件」もありチーム内に不協和音。バースも吉田采配にケチをつけ始めるあり様だった。
最後も9月末から8連敗で借金42でフィニッシュ。逆に最多連勝は「3」(2度)だった。
月間成績でも毎月負け越し。8月の10勝11敗1分が最高という体たらく。4/25以降一度も最下位から脱出できなかった。
投のキーオ、打でバースが孤軍奮闘したのみで唯一の好材料は後半戦で7勝2敗だった22歳左腕仲田ぐらいか。
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- 203
- 2010/04/16(金) 17:44:22
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吉田監督が日本一で我を忘れ、本来守備力を強化しようとしてたのに打撃と勘違いしたことが全て。
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- 204
- 2010/04/16(金) 17:48:22
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・掛布から八木への世代交代を早くやるべきだった。
・キーオよりも、ホーナー取るべきだった。あるいは落合。
落合も取れたらなあ 田尾なんかいらんかった。
1中 真弓
2遊 和田
3右 バース
4一 落合
5二 岡田
6三 八木
7左 渡真利
8補 木戸
代打 柏原 佐野 永尾
長崎
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- 205
- 2010/04/16(金) 18:47:45
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ホーナーが阪神・池田をカモにしていた。
たしか
「毎日池田が投げてくれないかな」
なんてコメントしたこともあったな
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- 206
- 2010/04/16(金) 19:21:47
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でもキーオGHいなかったらもっと酷かっただろw
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- 207
- 2010/04/16(金) 19:28:40
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犯珍(笑)
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- 208
- 2010/04/29(木) 12:12:15
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確かに日本一以降の吉田阪神は85オフは柏原のみ、86年オフは田尾と攻撃力補強ばかり。
ドラフトでも85遠山、翌年猪俣は指名したものの今一つ投手力を含めた守り強化に必死さが感じられなかった。
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- 209
- 2010/04/29(木) 22:59:07
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>>204の妄想も、ここまでくるともう…。
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- 210
- 2010/05/16(日) 00:56:35
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この年がもし144試合制でキーオが阪神にいなかったらと思うと…100敗ありえたか?
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- 211
- 2010/05/16(日) 06:34:42
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最終勝率 .331だから、144試合だと48勝(96敗)近くはできる計算だよね。
>>10にもある様に特に前半が勝率 .260と酷かったが、
その最悪ペースで130試合だとしても34勝(96敗)近くは計算できる。
この時代には多かった引き分けをゼロとして計算したので、
その点から考えても意外と壁があるのではないか。
後半の勝率が上がったのは仲田が伸びてきたことが大きいので、
(たしか後半だけで7勝くらい記録した)
キーオがいなけりゃいないで誰かが窮地を救って夢の100敗は回避や!
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- 212
- 2010/05/16(日) 18:48:49
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この年の広島は「この試合で巨人に勝てば・・・」という試合を
負けたり引き分けるケースが多かった。
特に津田・・・。
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- 213
- 2010/05/16(日) 18:51:32
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>>212
クロマティのサヨナラHRと駒田の9回同点HRが印象的
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- 214
- 2010/05/16(日) 19:41:51
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>>213
その2試合以外思い出せないのだがw
広島は北別府の不振。津田が結構リリーフ失敗。
長富の失速。金石の故障等結構前年より戦力ダウンの要素は多かった。
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- 215
- 2010/05/16(日) 19:54:12
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て、言うか浩二の引退が大きい
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- 216
- 2010/05/16(日) 22:48:55
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>>214
8月の終わりか9月の始めの市民球場での巨人戦(二連戦の二試合目だったと思う)
先発の川口の好投で1−0で9回表まで来るも
原を迎えたところで津田にスイッチ、
そうしたら津田が打ち込まれて逆転されて
結局引き分けた(その裏慶彦が同点HRを打った)試合もあった。
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- 217
- 2010/05/17(月) 05:36:00
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>>216
広島にとっては悔しいドローだったのかも知れんが、
前日にも逆転サヨナラ負けをした巨人ファンからすると、
終盤の失点で2連戦1敗1分けは前年の悪夢がよぎった。
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- 218
- 2010/05/17(月) 21:24:01
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9月20・21・22の市民球場CG三連戦
初戦が槙原完投勝利
2戦目が江川小早川のアレ
3戦目も広島の勝利(内容忘れた)で広島勝ち越し
まだ一波乱ある気がした。
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- 219
- 2010/05/17(月) 21:52:41
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そこからの巨人は加速して、
5連勝●4連勝●の翌日が移動日で優勝決定。
最終的には中日とは8ゲーム差、広島とは11.5ゲーム差なんだけど、
>>218の辺りまでは5ゲーム差くらいで本当にハラハラしていた。
結果だけを見ると巨人が独走の様に見えるけど、
この年の巨人のライバルは2位の中日というよりも、ずっと広島だった印象。
手元の縮刷版によると三連戦終了時点(9月21日です)から巨人は残り試合を12勝4敗、
広島は9勝14敗だったそうで、そのお陰で最終ゲーム差が開いちゃったんですね。
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- 220
- 2010/05/18(火) 01:19:42
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>>210
2003横浜、2005楽天並に酷いシーズンを送ってた可能性は高いと思う。
あと、1995中日も中山抜きで、2007ヤクもグライ抜きで臨んでたら確実にその仲間入りしてた。
どちらも獲得するには相当苦労したんだよね。
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- 221
- 2010/05/18(火) 10:30:10
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この年(と翌年)の広島はチームに活力が無かったね。
なんか老成してしまっているというか、
そこそこにはやるがそれ以上はないというか。
その象徴が山崎隆造な気がする。
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- 222
- 2010/05/18(火) 16:49:12
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>>61
俗に言われているのは首脳陣の不協和音だが。
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- 223
- 2010/05/18(火) 22:42:26
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>>221
大御所の2人が相次いで抜けてしまったからな…。
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- 224
- 2010/05/19(水) 01:23:53
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この年の広島が勝てなかったのは主にこちら
1.高橋慶彦の開幕2週間出場停止
2.山本浩二の引退による穴を埋められず
3.エース・北別府学を筆頭に金石、長富といった主力投手の不振
4.球宴を挟み対大洋戦9連敗
5.4を含む夏場の負け込み
つづきはまた後日。
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- 225
- 2010/05/19(水) 22:31:14
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というか、この時期の広島って若い野手がほとんど出てこなかった。
強いて言えば片岡ぐらいか。
阿南監督のレギュラーを固定する方針も影響していたんだと思うが
(翌年など山崎や長嶋があの低打率で余裕で規定打席到達だし)。
それが活力が無いというのにつながったのではないだろうか。
活きのいい若手が出てきて予想していなかった活躍をするってのが無いわけだから。
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- 226
- 2010/05/20(木) 03:40:33
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1.高橋慶彦の開幕2週間出場停止
地元で行われる「カープ激励の夕べ」が毎年開幕直前(この年は2日前)に行われることに不満を抱いていた高橋が
球団幹部に日程の変更を求めていたところオーナー代行に怒鳴られたため行事を欠席。造反として事態を重くみた球団が
開幕2週間の謹慎を課した有名な事件。阿南監督の説得も振り切り高橋も開幕は出ないと言った。
この年30歳を迎え、山本浩二の引退でチームリーダーと主軸を担う予定だった高橋は張り切っていて前からこれに対し
球団に意見していた。他の選手も行事には反対していたがオーナー代行の爆発で口をつぐみ何事も無かったように開幕から
プレイした事が高橋には何とも寂しかった。
高橋不在の間チームは6勝3敗3分けとまずまずのスタートができた。
しかし高橋が年間を通した三番打者としての中軸の働きができず打撃成績のどの部門でも前年より落とす結果となった。
さらにはチーム内で浮いた存在になった事でチーム間で微妙な空気が流れ士気に影響した事は否めなかった。
元々相手が誰でも物を言う高橋がこの事件でこの年のオフ内定、年俸まで決まっていたという西武の若手・田辺徳雄との
遊撃手同士の交換話を皮切りに常にトレード要員として球団が準備するきっかけになってしまった。
オーナー代行は85年春にも高橋の恩師で前監督の古葉竹識との確執があった。代行とすればその教え子も可愛くなくなったということか。
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- 227
- 2010/05/20(木) 22:10:33
-
うn
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- 228
- 2010/05/22(土) 02:54:49
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2.山本浩二の引退による穴を埋められず
ミスター赤ヘルの不在をどうカバーするかはこの年の広島の大きなポイントであった。
前年純国産で戦い通した球団でなくてもまず手っ取り早いところで思いつくのが外国人の補強。
リチャード・ランス、ランディ・ジョンソンの二人を獲得したが特に期待されたのが86年3Aで30発100打点の長打が売りのランスだった。
ランスは39本塁打、83打点。前年山本浩二の記録した27本塁打78打点は越えたがリーグ最下位の打率.218
6月以降は下位打線で出場するなど安定性を欠いた。
しかしその6月以降の四番打者・小早川毅彦が24本塁打、93打点と力を発揮、最多勝利打点(16)にも輝き穴はカバーされているかに見えた。
さらには前年よりチーム打率も本塁打も得点も上がったが、ここ一番での一本が出ずに泣く試合が多かった。
小早川の後続を打つ長嶋清幸、衣笠祥雄の“勝負弱さ”が目立ってしまった。
山本が引退した事で長嶋や高橋慶彦らの四番の前後が気負いすぎた面もあるが、四番の小早川から長嶋、ランスなど左の続く新打線が
中日・米村明、ヤクルト・矢野和哉、大洋・新浦壽夫らの左腕に苦しめられたのも一因だった事も否めない。
右の大砲、相手に与える一本のダメージ、存在感の大きさなどあらゆる面での穴を痛感したシーズンだった。
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- 229
- 2010/05/22(土) 07:25:25
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山本にしろ衣笠にしろ、あと数年は2ケタHR打てそうだったよね。
特に山本は翌年の衣笠ラストイヤーよりも打てそうな気がした。
衣笠は打率が低いと使い勝手が悪かったかも知れんけど。
そういえばジョンソンっていたなあ、
思い返すと300勝左腕と同じ名前だったのね。
小早川はHR本数はそれ程でもなかった印象だけど、93打点は凄い。
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- 230
- 2010/05/22(土) 18:45:25
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3.エース・北別府学を筆頭に金石、長冨といった主力投手の不振
投手王国・広島にとって痛かったのは計算していた投手が思うように活躍出来なかった事ではないだろうか。
前年投手四冠を獲得した沢村賞エース・北別府学は開幕から打ち込まれ3連敗、初勝利は5月24日でチーム32試合目。
開幕から一ヶ月半も経った時だった。北別府は7月に一時白星を先行させたものの結局この年は10年連続二桁勝利は達成したが
大事な局面であった夏の3連敗もあってリーグワースト2位の14敗を記録した。
8年目の前年、初の二桁を挙げた金石昭人は怪我に泣かされ続けた一年。梅雨時から戦線離脱し戻ってからも
阿南監督は登板間隔を空けながらのデリケートな起用に終始した。打線の援護に恵まれない試合も多く5勝止まりだった。
新人王・長冨浩志も前年のようにスイスイとは勝てず“こんなはずでは”の連続。無理がたたったのか9月上旬ついに故障し
右ひじ痛で登録抹消された。金石と同様5勝に終わった。
そうなると開幕7連勝の好スタートを切った川口和久にかかる負担も大きくなる。
川口も息切れし球宴明けの後半戦は4勝8敗。重圧はやはりかかっていた。夏場は年間安定していた大野豊でしか勝てない時期もあった。
結局打線にも言えるがニューヒーローが出現しにくい起用法には問題はなかったか。
前年は金石が、長冨がと出てきて勝てた。しかし阿南監督はこの年も前年と全く同じ布陣で年間を戦い抜いてしまった。
新監督であった前年も前任の古葉体制とほぼ同じコーチ陣で臨んでいたようにコーチ、選手を信頼していると評価された采配は
翌年に“冒険をしない消極的な凝り固まった采配”という記事に代わってチラホラ出始めた。
その頃パシフィックでは森西武が“育てながら勝つ”を遂行し続け連覇を成し遂げた。
戦力、リーグの違いはあれど「勝ち続けるにはこうするんだよ」という声が埼玉から約650キロを越えて広島に聞こえて来るようだった。
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- 231
- 2010/05/22(土) 20:14:07
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その投手陣不振の話を読むと、
前半で41勝もしていたのが今一つ信じられない。
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- 232
- 2010/05/23(日) 02:26:02
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4.球宴を挟み対大洋戦9連敗
「わざと負けてるんじゃないかと言われたりもしたが、これで少しは分かってもらえるんじゃないですか」
8月23日、2年目松本豊が1−0で広島を完封。3タテで対広島6連勝した大洋監督・古葉竹識は笑顔を浮かべながら話した。
前半戦は開幕戦こそ“慶彦ショック”に揺れる古巣に勝ったものの翌日の試合から対広島11連敗。
古葉には寺岡孝ら3人のコーチ陣と名スカウト木庭教を広島から引き連れた負い目も或いは采配に出たのかもしれない。
しかしエース・遠藤一彦がアキレス腱の怪我から戻り、広島打線の夏バテも手伝い前述の3タテを含む合計9連勝。結局最終的には13勝13敗。
冒頭の言葉は故意に負けた事への否定だけでなく気心の知れた人との組閣でないと指揮官として存分に力を発揮できないという事を分かってもらいたい意味もあったのか。
この年広島は捕手で自由契約の堀場英孝、バッテリーコーチの福嶋久晃の二人も大洋に移籍している。
寺岡の移籍なども含めあらゆるデータが流出した影響もある。しかし、そうでなかったとしても広島が疑心暗鬼になり過ぎた事が
一番の原因となったのかも知れない。もちろん真実は第三者が知る由もない。
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