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  • 2011/12/09(金) 16:35:28.12
1947年12月9日 農地改革


農地改革(のうちかいかく)は、第二次世界大戦後の農地の所有者の変更や法制度の変更など、農地を巡る改革運動のひとつ。


一般的には1947年(昭和22年)、GHQの指揮の下、日本政府によって行われた農地の所有制度の改革を指す。農地解放ともいう。
比較的、日本側が自発的に実施した改革であるとされる[要出典](もともと戦前より帝国政府の中には農地の分散化の方針も一部あったようだが、
地主層の抵抗が強く実施しなったものをGHQの威を借りて実現したといえる。ただし帝国政府の考えた方針とGHQの改革内容には大きな違いがある)。

敗戦後GHQの最高司令官マッカーサーは、寄生地主が日本の軍国主義に加担したとして農地改革を行った。
これにより、地主が保有する農地は、政府が強制的に安値で買い上げ、実際に耕作していた小作人に売り渡された。
これは、全国的に行われ実に7割余りの農地が地主から小作人のものに換わった。なお、全ての小作地が強制買い上げの対象になったわけではなく、
東北地方などでは戦後もある程度の小作地が残存した。また、水田、畑作地の解放は実施されたが、
林野解放は、朝鮮戦争の勃発による米国政府の右傾化により、頓挫した。

この農地改革を巡っては、施行されたばかりの日本国憲法の第29条3項(財産権の保障)に反するとして、
一部の地主が正当な価格での買取を求め訴訟を起こしたが、第29条3項で言う正当な補償とは、正当な価格とは異なるという解釈がされ請求は棄却された。

また、この農地改革は当時政府やGHQもその勢力拡大を警戒していた日本共産党の力を大幅に削ぐことになった。
従来、賃金労働者と並んで共産党の主要な支持層であった水田および畑作地の小作人の大部分が自作農=土地資本保有者となり、
その多くが保守系政党に取り込まれたためである(当時の共産主義の政策方針では集団化(自作農の土地は全て国に集められてから国から土地を借りて耕作するという形)
を目指していたため)。


農地改革 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E5%9C%B0%E6%94%B9%E9%9D%A9

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