facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

  • 2
  •  
  • 2016/10/19(水) 06:40:56.00
だが、かつてミスター完投と呼ばれた男は、体が限界に近いことを、もっともよく分かっていた。
「9回を投げられない体になった。それは歯がゆさもある」。引退決断の理由だった。

14年オフには約20億円ともいわれた巨額オファーを断り、約5分の1の条件で広島に復帰。
今年7月に史上2人目の日米通算200勝も達成した。10月1日のリーグ戦最終登板では2年連続の2ケタ勝利も達成した。
肩、首の慢性的な痛みを抱え、トレーナーによる体のケアに2時間以上かけることも珍しくなかった。
14日のDeNAとのCS最終S第3戦の直前には右肩の違和感を発症。
肩が上がらなくなり、病院で炎症を抑える注射を処方。首脳陣からは登板日の変更を打診された。
それでも、男気右腕は「大丈夫です。投げられます」と譲らなかった。最後の気力を振り絞っていた。

引退決断のもう一つの理由は「リーグ優勝して、日本シリーズに進出できたこと」。充実感で、肩の荷が下りた。
だが、気を緩めてはいない。練習前のマツダのグラウンドでの円陣で、チームメートに自らの口で引退を伝えた。
「みんなで最後に優勝して、もう一度、ビールかけがしたい」。大きな拍手で包まれた。

シリーズ第3戦(25日)の先発が予想される。「今までも最後のつもりで上がってきたけど、リアルに最後になるので想像がつかないですね。
日本一という形で恩返しできるように、選手一丸となって戦っていけたら」。
中4日で第7戦のマウンドに立つ可能性もある。集大成となるレジェンド劇場の最終章。最後の男気マウンドを、見逃すな。(角野 敬介)

◆黒田 博樹(くろだ・ひろき)1975年2月10日、大阪府生まれ。
41歳。上宮高から専大を経て96年のドラフト2位で広島入り。
2004年にアテネ五輪で日本代表に選出され、中継ぎとして2勝し、銅メダル獲得に貢献。
05年に最多勝とベストナイン、06年に最優秀防御率を獲得した。08年にFAでドジャースへ移籍。12年からヤンキース。
15年に広島に復帰し、16年に日米通算200勝を達成した。185センチ、93キロ。右投右打。既婚。血液型B。年俸6億円。

ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード