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  • 2016/10/19(水) 21:14:14.55
なぜか儒教が悪いという意見をよく耳にするけど
実情は逆に現代日本人が儒教を捨てたことこそが
土人化とそれに伴う国家凋落の原因だと思うぞ

>樊遅(はんち)が仁のことをおたずねすると、先生は「人を愛することだ。」といわれた。
>智のことをおたずねすると、「人を知ることだ。」といわれた。
(金谷治訳注『論語 (岩波文庫)』 P243)

>子張がおたずねした、
>「令尹(れいいん)の子文(しぶん)は、三度仕えて令尹となったが嬉しそうな顔もせず、
>三度それをやめさせられても怨みがましい顔もせず、
>前の令尹の政治を必らず新しい令尹に報告しました。いかがでしょうか。」
>先生はいわれた、「誠実だね。」
>「仁でしょうか。」というと、
>「〔仁であるためには智者でなければならないが、彼は〕智者ではない、
>どうして仁といえよう。」といわれた。
(同上 P97)

>先生がいわれた、
>「〔中略〕仁愛を好んでも学問を好まないと、その害として〔情におぼれて〕愚かになる。
>知識を好んでも学問を好まないと、その害として〔高遠に走って〕とりとめがなくなる。
>信義を好んでも学問を好まないと、その害として〔かたくなになって〕人をそこなうことになる。
>まっ直ぐなのを好んでも学問を好まないと、その害としてきゅうくつになる。〔後略〕
(同上 P349)

>先生がいわれた、
>「君子は道徳を思うが、小人は土地を思う。君子は法規を思うが、小人は恩恵を思う。」
(同上 P76)

>仲弓(ちゅうきゅう)が仁のことをおたずねした。
>先生はいわれた、「家の外で〔人にあうときに〕は大切な客にあうかのようにし、
>人民を使うときには大切な祭にお仕えするかのようにし〔て身を慎み〕、
>自分の望まないことは人にしむけないようにし〔て人を思いやり〕、
>国にいても怨まれることがなく、家にいても怨まれることがない。」

とあるように、孔子は「愛すること」と「智者であること」を重んじた
(西田幾多郎のように「愛即智」「智即愛」だと考えていた)
現代日本で一体どれだけの人が「愛すること」と「智者であること」を大切に思っているだろうか
何人のトップが「人民を使うときには大切な祭にお仕えするかのようにし」ているだろうか
いつのまにか世間において「人情」という言葉がぜんぜん聞かれなくなり
人民の間では弱者は見捨ててもよいという仁ではない考えと反知性主義が蔓延している
現代日本人のどこが儒教的だろうか
むしろ現状は儒教的なものを悉く棄て去った結果であろう

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